東京・武蔵野市の産婦人科病院で、人工妊娠中絶手術を受けた新妻が術後6日で急死したニュースが報じられた。手術との因果関係は明らかでないが、執刀医が資格を持っていなかったことが問題視されている。
流死産と異なり、中絶を行うには母体保護法指定医として都道府県から指定を受ける必要がある。それだけ人権を侵害するおそれのある医療に携わるためだ。
これと並んで、「こころの権利保護」に関わる資格が精神保健指定医である。

精神保健指定医とは、精神科患者の利益のため、強制入院や行動制限・拘束などの人権配慮を要する治療に必要な国家資格。医師歴5年(うち精神科医3年)以上の経験があり、種々の精神疾患8症例報告、研修を行い、厚生労働大臣の審査で基準を満たすと指定される。合格率は6~7割で、全国で約1万5千人が登録されている。
昨年、聖マリアンナ医大で不正取得が発覚し、23人が資格取り消しとなったのは記憶に新しい。そして今年7月、措置入院期間が問題となった相模原障害者施設殺傷事件。ここで、戦後精神保健の歴史を振り返ってみよう。

1950(昭和25)年、戦前の私宅監置(座敷牢)制度を一新する精神衛生法が施行され、精神衛生鑑定医制度が発足した。そして1964年、重大事件が起きる。
ライシャワー駐日大使が統合失調症の19歳青年にナイフで刺された。大使が輸血後肝炎になり、売血制度〔当時は生活のために自分の血を売ることもできた〕が社会問題となった。これを機に今の献血制度へとつながるのだが、もう一つ重大な影響を与えたのが、精神障害者の処遇だった。
事件翌年に精神衛生法が改正され、保健所が精神保健の第一線に位置付けられた。本音は「精神障害者を野放しにするな」だったと思われる。措置入院患者が無断離院した際の警察届出が義務づけられたことからも裏づけられる。
そして再度、重大事件がおきた。1984年の宇都宮病院事件。看護助手が患者に暴行し死亡させた。3年後、今度は改正でなく、精神保健法として成立した。任意入院が明記され、患者の人権中心の法体制に変わる。この時から精神保健指定医制度が施行された。
1995年、障害者基本法制定。精神障害が身体・知的障害と同じ基準で扱われ、精神保健福祉法として今にいたる。基本姿勢は入院治療から地域生活への移行だ。自立支援や雇用促進が柱になっていく。
こう見てみると、精神医療は社会の動きと密接に関わってきたことがわかる。その中で起きた津久井やまゆり園の障害者殺傷事件は、優生思想をキーワードに、われわれの社会の在りようを根底から問いかけるものだ。

今月、精神保健指定医の研修会に参加した。5年毎に更新される指定医の資格取得には、研修会全出席が必須となっている。
冒頭、主催者側の公立病院長が述べた言葉が印象的だった。「(精神保健指定医が精神障害を持つ)患者の自由を拘束するのは警察の逮捕と同じではない。逮捕には裁判所の許可がいるが、指定医はたった独りで憲法の基本的人権を制限する権利を持つ」。
患者さんの利益のために患者さんの自由を奪う宿命を指定医は持つーー重い言葉だ。
先日、厚労省有識者会議は相模原殺傷事件で報告書をまとめた。そこでは、共生社会の考え方に基づき、地域と施設の共存を目指し、地域に開かれた存在とともに施設安全確保の両立を求めている。

高校時代に皆が使っていた英単語集に「障害(物)」の訳が載っていた。
obstacle. = 離れて(ob)+立つもの(stacle)。 *obはラテン語の接頭辞で「逆に」の意味を持つ。
障害を持つ人たちを社会から離れて立たせてはいけない。