桜流しの雨も止み、うららかな4月8日の朝を迎えた。きょうで一宮むすび心療内科は開業2周年。振り返ると、あっという間のことだったように感じる。この院長Blogも数えて123本目とはビックリ本(ポン)。前々回のコラムで書いたように、今年はいよいよイチニノサン!でジャンプする年と願いたく候。[本日は外来休診し、スタッフ研修に充てるため、関係の皆様にはよろしくお願いいたします]

さて、日本ほど季節の移り変わりが魅力的な国も少ないだろう。この風土こそが国民性を培っているという考えには思わず共感してしまう。
お釈迦様の生誕日とされる4月8日は、四季を分けた二十四節気でいう「清明」と呼ばれる。
「すべてのものが清らかで生き生きとするころのこと。若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節」(日本の七十二候を楽しむー旧暦のある暮らしー東邦出版)
なんとすがすがしい言い方だろう。僕などは、清明君という名前の知り合い、いたっけな?などと脱線してしまうのだが、、。そんな俗な人間でも、モノゴトの節目には襟を正すべきと考えている。それで昨日、雨の中クリニックから徒歩8分の真清田(ますみだ)神社に出掛けた。

この地は古くから木曽川の灌漑用水で育まれてきた。ゆえに、真に清く澄んだ水の田というのが神社名の由来で、その歴史は平安時代にさかのぼる。御本尊は天照大御神(アマテラスオオミノカミ)の孫神・天火明命(アメノホアカリノミコト)。神社の宝物である五鈴鏡が一宮市の市章になっている。
由緒ある神社で、行事も有名な七夕祭り[アーカイブ2015.7.26『還暦七夕・一宮の法則』をお読み下さい]を始め、春秋にわたって繰り広げられる。そして、4月上旬に例大祭として開かれるのが桃花祭。桃の枝には霊力が宿るとされ、神社南面の楼門わきに立つ桃の木はいまや花盛りだ。

清明心とは神道の核心を衝いた言葉。大陸から日本への仏教伝来は6世紀だが、有史以来、八百万(やおよろず)の神を信じてきた我ら祖先は、道端の草花にも頭(こうべ)を垂れる心を持っていた。明き心とは赤き心のことで、赤ん坊の赤[曇りのない純粋無垢]と同語源。[この反対が黒き=暗き心]。
江戸時代、『古事記伝』を著した本居宣長は、それを「やまとごころ」と表現し、「もののあはれ」こそ日本人の心の通底音と見定めた。彼は思想家であると同時に市井の医師でもあった。

さあ、次の一年に向けて歩き出そう。日々の事どもはまた、このコラムで紡いでいきたい。結び目には四季の薫りが漂うように。