春一番が吹き、季節外れの暖かさとなったことしのバレンタインデー。チョコレート商戦にも変化の兆しが訪れている。恋の告白チョコを男性に贈るよりも、自分用の高級チョコを購入する女子が増えているという。
百貨店運営会社が実施したバレンタイン意識調査では、チョコ予算の5割以上を自分のために費やす人が初めて半数を超えた(中日新聞2月9日夕刊)。

自己愛。英語でNarcissism。語源はギリシャ神話に登場する美青年ナルキッソス。森の妖精エコーの求愛を拒んだ罰として、水面に映る自分の姿に焦がれ続けるという罰を受け、最後はスイセンの花になってしまう。ナルシシストはうぬぼれの強い自己陶酔者を表す言い方だ。今なら”自己中”と言った方が通用しやすいかもしれない。
もちろん、自分用のチョコを買う女性がそのまま”ジコチュ―”であるわけはないが、2004年に「世界の中心で愛を叫ぶ」(小説、映画が大ヒットした)をもとに”セカチュー”という言葉が流行ってから、この国も自己中心的な生き方が日常化してきたな、という気がしていた。

そんな事どもをつらつら思い浮かべていたら、『あの日』(講談社)が出版された。著者は元理化学研究所CDBユニットリーダーの小保方晴子氏。
彼女に関しては、あのSTAP論文指導者、笹井芳樹CDB副センター長が僕の高校同級生だったこともあり、当欄で何回か言及してきた。マスメディアの末席を汚したことのある身として、一連の過熱報道ぶりを見守り、笹井君の死という出来事を前に考え込んだ。
『あの日』は発売初日、三省堂書店一宮駅前店で購入した。手に取って驚いた。どこかで見た。既視感。そう、昨年6月同店で「あの」本を買った時と全く同じ外観だったからだ。(アーカイブ2015.6.28.「僕は、僕でなくなった」参照)。酒鬼薔薇事件の犯人Aが書いたのはオール黒地に白のカバー。小保方さんのは黒の折り返しの付いた白一色の装丁に、Aの本と同じ白一色のカバー。「真実を歪めたのは誰だ?」とやはり白色の帯にある。
装丁は「私は潔白です!」という編集者の意図だろうが、内容を読むと、これまたAの本と通底している部分があると感じた。自己弁護、というより、自己愛に溢れる記述。同じ感想を佐藤優氏が週刊誌で述べていて、うなずいた。
15に章立てされた文章は小児リウマチだった幼なじみとの出会いから始まる。「はるちゃんは頭がいいから、将来なんにでもなれるよ」。中学時代、全国トップクラスの成績がありながら滑り止め高校にしか入れず、医師の道を考えながら「間接的にでも多くの人の役に立てる可能性のある研究の道」を選んだと書く。
多くの読者が望む「STAP細胞はありまぁす」事件の真相に関しては、当時の経過を時系列で記しているが、やはり本人の気持ちが先走り、つぶさに読むと若山照彦チームリーダーへの責任転嫁が繰り返し主張される。彼女の”主観的真実”は読み取れるが、我々の知りたいことには手が届いていない内容に思える。
きっと、彼女の低い自尊心は、一連の出来事でずたずたにされたことだろう。その分、自己愛が高まるこころの仕組みが働いたと僕は見る。しばらく、自己チョコで脳の疲れを癒すのも一法だろう。