第9回日本医学ジャーナリスト協会賞の大賞に中日新聞の調査報道「呼吸器事件」が選ばれ、先日、表彰式が東京・日本記者クラブであった。受賞したのは取材班(代表・秦融編集委員)だが、冤罪当事者である西山美香さんの精神鑑定をした私も出席したので、報告したい。
事件の詳細は、このブログ読者には周知と思うので割愛するが、授賞理由を同協会HPから引用する。
「24歳の看護助手が患者殺害の罪で逮捕され、13年間、無実を訴え続けた。多くの記者が分担して、西山美香さんから両親への350通の手紙を丹念に読み、裁判記録や中学時代の恩師などの周辺をくまなく取材し、捜査の立証の矛盾を突き止めていく。
*再審無罪への道のりで重要な役目を果たしたのが、記者の依頼で精神科医師が実施した獄中鑑定だった。この医師は、中日新聞記者として7年間勤務した後、医学部に入り直して医師の道を歩んでいた。ジャーナリストの視点を持つ医師の存在は大きかった。軽度知的障害・発達障害・愛着障害を明らかにし、「供述弱者」を虚偽自白に誘導した冤罪を、精神医学の視点で検証。7回の裁判で有罪認定された困難な状況で、ことし3月に再審無罪になった。
医学とジャーナリズムの協力によって無実の救済につなげた社会的なインパクトは大きく、冤罪を解く新たな手法として、医学ジャーナリズムに新境地を開いた。」
第2段落(*)がなんとも面映ゆいが、表彰式当日、進行役の大熊由紀子理事からストレートに訊かれた。「どうして記者から医者になったんですか?」。これまで何度も出くわした質問。ときには「魔が差して」と応じることもあったが、医学ジャーナリスト協会の面々を前にそれはないと思い、こう返した。
「新聞記者時代、昭和天皇の手術をした先生の担当になったことなどもあって、医学に近づきました。(なにより)自分自身のこころの問題を追求していくことに関心が向いたことが大きかったです」
「医者と記者の違いはローマ字でいえば、”K”一文字の違いです。人の話を聴くという意味では本質は同じです。記者時代の経験が今の仕事に役立っていると思います」
――KISYA-ISYA=K。還暦も近づき、そろそろ髪の”K”の気になる時期に立派な賞に巡り合えて幸いだった。
事件の詳細は、このブログ読者には周知と思うので割愛するが、授賞理由を同協会HPから引用する。
「24歳の看護助手が患者殺害の罪で逮捕され、13年間、無実を訴え続けた。多くの記者が分担して、西山美香さんから両親への350通の手紙を丹念に読み、裁判記録や中学時代の恩師などの周辺をくまなく取材し、捜査の立証の矛盾を突き止めていく。
*再審無罪への道のりで重要な役目を果たしたのが、記者の依頼で精神科医師が実施した獄中鑑定だった。この医師は、中日新聞記者として7年間勤務した後、医学部に入り直して医師の道を歩んでいた。ジャーナリストの視点を持つ医師の存在は大きかった。軽度知的障害・発達障害・愛着障害を明らかにし、「供述弱者」を虚偽自白に誘導した冤罪を、精神医学の視点で検証。7回の裁判で有罪認定された困難な状況で、ことし3月に再審無罪になった。
医学とジャーナリズムの協力によって無実の救済につなげた社会的なインパクトは大きく、冤罪を解く新たな手法として、医学ジャーナリズムに新境地を開いた。」
第2段落(*)がなんとも面映ゆいが、表彰式当日、進行役の大熊由紀子理事からストレートに訊かれた。「どうして記者から医者になったんですか?」。これまで何度も出くわした質問。ときには「魔が差して」と応じることもあったが、医学ジャーナリスト協会の面々を前にそれはないと思い、こう返した。
「新聞記者時代、昭和天皇の手術をした先生の担当になったことなどもあって、医学に近づきました。(なにより)自分自身のこころの問題を追求していくことに関心が向いたことが大きかったです」
「医者と記者の違いはローマ字でいえば、”K”一文字の違いです。人の話を聴くという意味では本質は同じです。記者時代の経験が今の仕事に役立っていると思います」
――KISYA-ISYA=K。還暦も近づき、そろそろ髪の”K”の気になる時期に立派な賞に巡り合えて幸いだった。