2017年03月

続・ウソから出たマコト

誰もが予想していなかったであろう、千秋楽での逆転勝ちーー大相撲春場所で、稀勢の里が貴乃花以来22年ぶりに横綱就位初場所での優勝を果たした。この栄冠が意味するものはものは比類なく大きいと思う。わずか二ヶ月前、稀勢の里の横綱昇進を決めた初場所での奮闘ぶりをこのコラムで書いた。常に真剣勝負で相撲道をまい進してきた稀勢の里の「マコト」ぶりを、虚偽性障害という精神疾患と対比させた。
それが今日、さらにその上を行く快挙を成し遂げてくれた。そのオマージュのために急きょ、筆を執った次第。

貴乃花と稀勢の里の共通点は、徹底して相撲へ没入する姿勢だ。そして二人とも名伯楽の下で成長した。ふたりを育ててくれた師匠がやはり、名力士だった。貴乃花の師であった父、貴ノ花は相撲史に残る大関だし、稀勢の里の師匠鳴戸親方は遅咲きの“おしん”横綱だった。大事なのは、両師匠ともに手を抜かないガチンコだったことだ。
前コラムで書いたように、異国出身の力士たちが日本固有の相撲界で地歩を固めるため、お互い手心が加わることはあり得ることなのだろう。それは日本人力士でも同様であり、一時の相撲界が“八百長“気分に流されていたのは紛れも無い事実だ。
それを打ち砕かんと、貴乃花や稀勢の里らの姿勢が実を結んだのか、このところの角界はガチンコ対決が増えてきた。遠藤や宇良らの戦いぶりにも目が離せない。
しかし、13日目に横綱日馬富士が稀勢の里を打ち破り、怪我を負わせた時、思った。ああ、これで今場所はモンゴル勢が持って行くな、と。14日目に、調子の上がらない鶴竜に苦もなく寄り切られた稀勢の里からは、最終日の結果は予想すらできなかった。一体、あの闘志はどこから出ているのだろう?
思うに、13日目の日馬富士のコメントが、さらに稀勢の里を奮い立たせたのでは無いか?「勝負事だからね」。それ以上に彼の脳裏を駆け巡ったのは、師匠隆の里が新横綱で優勝したことだろう。
千秋楽。逆転するには大関照ノ富士に2番続けて勝たなければならない。手負いの稀勢の里にとって、あまりにもハードルは高いと思えた。
取り組みを報道のトップニュースで観た。これしか無い、という取り口で本割に勝ち、決定戦では、これもここしか無いという隘路(あいろ)を見出した小手投げだった。わずか3秒余りの戦いーー久し振りに、相撲の醍醐味を堪能させてもらった。そして、ひとつことに集中し切った人間が成し遂げることの偉大さも。

何やら、下手くそなスポーツ記事のような内容となった今回のブログ。最後にひとつ。
ASD(自閉スペクトラム症)は、他人とのコミュニケーションが苦手で不器用な人たちだ。ただ、好きなこと、関心のあることには集中するとやり遂げる力も持っている。彼/彼女たちにはぜひ、稀勢の里の生きる姿勢を学んでほしい。もちろんこれは僕自身にも当てはまることだろう。



 

悲しみは割り切れない〜3・11と3.14のあいだ〜

「あの日」も子供たちは、授業を受けていたーー東日本大震災から6年。毎年この時期になると、未曾有の惨事をすべての日本人が思い起こす。いまも12万3千人が避難生活を続け、2553人の行方不明者がいる。去年の当欄では、福島第1原発事故を「文明災」と呼んだ梅原猛氏の主張を元に、喪の作業について書いた。今年は“割り切れない悲しみ”について記しておきたい。

3.111446 vs 3.141592…一見よく似た数字列の対比。だが、違いは明白。前者はマグネチュード9.0最大津波高40mの地震発生時刻。後者は円周率。数字遊びのつもりは無い。
ゆとり教育時代の頃だった。小学校で円周率を教えるのに「およそ3」で良い、とする議論に待ったがかかった。円の全周長を求めるための基本数π(パイ)は割り切れず無限に続く[無理数]。それを、学習指導要領ではまだ小数点を教えていないという理由で、「状況により3」にしてしまってはπの本質が抜け落ちてしまう。
半径1の円に内接する正六角形の周囲長は6。この円の長さは2π r=6.283184…。もし円周率を3とすると、円と六角形が重なってしまう。明らかな矛盾。自然には割り切れないことがあるという真実を小学生に教えないことが「ゆとり」なら、そんな代物はノーサンキューだろう。

小雪舞い散る2011(平成23)年3月11日午後2時46分。宮城県石巻市立大川小学校ではいつもと同じ授業が続いていた。円周率を算数の時間に習っていたかは不明だが、津波情報は確かに学校側に届いていた。
校長不在の中で教師たちは悩んだに違いない。同校は河口から5㎞。地震対策マニュアルでは近くを流れる北上川を津波が遡上する予想は3キロで、大川小は1次避難場所にもなっており、近くの老人ホームからもお年寄りが集まってきた。
歴史に「もしも」は禁忌と言われるが、もし児童たちがすぐ隣の裏山に逃げていたら、という批判は有り得る。いざとなったら各自で逃げよという“津波てんでんこ”の教えが活かされず、校庭での点呼後、集団で逃げる方向の川から津波が押し寄せ、児童74人が犠牲となった。
昨年、大川小校舎の保存が決められた。割り切れない思い出を象徴する学舎(まなびや)を後世に残す意義…

福島第一原発での放射能漏れ事故で、周辺住民約6万人はいまだに県内外で避難生活を送る。“文明災”から6年経ったこの春、避難解除区域が広がることになった。しかし、彼らの思いは複雑だ。住み慣れた我が家に戻れると手拍子に喜ぶことはできない。
ひとつは目に見えない放射能の影響が本当にどうなのか?3年後に東京オリンピックを控え、避難解除を急がされているのではないか?ある町の住民の44%が帰還政策は急ぎ過ぎと答えている。帰還すれば補助は打ち切られる。今後も地元で生活し続けることができるのだろうか。苦悩は尽きない。
特に心配なのは子供たち。医学的に放射能の影響をより受けやすい。心の問題も深刻だ。避難先でいじめを受けることも少なくない。6年経ちむしろ増加するうつ病の人たちへの対応を含め、国や自治体、医療がやるべき課題は山積している…

思い出す光景がある。31年前の夏。新聞記者をしていた頃。その前年8月12日に起き、520人の犠牲者を生んだ日航ジャンボ機墜落事故の取材で、生き残った母娘に単独インタビューをした時のこと。
吉崎家宅に上がり込んで、事故1年の区切りにと話をうかがっている時、かたわらにいた美紀子ちゃん(当時9歳)の祖母が、ポツリとつぶやいた。
「節目、節目って言うけどさ、悲しみに節目なんか無いじゃんねえ…」
割り切れない思いを抱きながら紙面に載せたことが、今も脳裏の片隅から離れない…


 

産む性を守るために~EPDSを使って~

3月3日〔上巳〕は桃の節句。起源をたどれば平安時代の昔から、貴族階級子女の厄除けが目的で行われていた。その後江戸時代になり、他の階層にも遊びが広まった。そのさい雛(ひな)人形は女の子にふさわしいと、5月5日〔端午〕を男の子の節句としたのと対にして、庶民に普及した。

“女の子の日”を前に、地元の保健師さんたちに講演をした。主題は、女性に特有のうつなど精神疾患について。新聞記者から医者になったという経歴はときどき珍重されるが、自分としては特に、他の心の専門家との違いをあらためてお伝えしたい。
いまでは義務化された全科研修を経て、精神科医の道に進んだが、一番長く所属したのが産婦人科病院の心療内科(足かけ9年)。男にはできず女性にしかできないことといえば、「出産」。ホルモン分泌など劇的な生理的変化を機に、抑うつ状態になるケースが多い(ざっと10人に1人)。授乳と内服の問題もあり、多くの精神科医が忌避する分野で頑張ってきたと自負している。

男女差の一番大きな心身の病は摂食障害だが、うつ病も性差のはっきりした病気だ。
女性の罹患率は男性のおよそ2倍。「か弱きもの、汝の名は女なり」というわけ。ただし、自殺率は逆に男性が多い。結果、自殺者の数は男性が女性の2倍となる。男の沽券(こけん)、というやつが邪魔するのか、うつ病の男性患者さんは、ぎりぎりまで頑張って、ポッキリ枝折れする印象だ。(最近は男女差が無くなりつつある気もするが、今後の課題だろう)。

全員女性の保健師向け講演では、最初にエジンバラ産後うつ病自己評価票(EPDS)の説明をした。
EPDSは1987年、英国で産後うつ病のスクリーニングのため開発された。10の質問に答えるだけの簡便性や、健康な妊産婦さんとそうでない人との鑑別ができる信頼性などから国際的に普及し、日本でも翻訳版が出て、著作権の問題なく利用することができる。
インターネットで誰でも閲覧できるが、当欄読者の便を考え、質問項目を掲載しておく。それぞれ、いつもと同様にできた(あった)~まったくできなかった(なかった)までの4段階で答え、3~0点で得点化。合計9点以上はうつのリスクあり〔これで診断するのではない点は注意〕とされ、再度2週間後にチェック、それでも高得点だと受診が勧められる。

1)笑うことができたし、物事の面白い面もわかった
2)物事を楽しみにして待った
3)物事がうまくいかない時、自分を不必要に責めた
4)はっきりした理由もないのに不安になったり、心配になったりした
5)はっきりした理由もないのに恐怖に襲われた
6)することがたくさんあって大変だった
7)不幸せな気分なので、眠りにくかった
8)悲しくなったり、惨めになったりした
9)不幸せな気分だったので、泣いていた
10)自分の体を傷つけるという考えが浮かんできた

以上の項目を見ればわかるように、産後でなくてもうつ病の症状に一致するのでは?と思われた方、その通りです。産後うつ病はうつ病の中のひとつ。そして、女性だけのうつ病です。今後、使用が一般的になっていくようにと願いつつ、本日はここまで。



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