2015年02月

そなえよつねに

2月22日はボーイスカウト創始者の英国人ベーデン=パウエル卿(1857-1941)の生誕日。ボーイスカウトは162の国と地域で3600万人が加盟する世界最大の青少年活動。ビル・ゲイツら有名人の経験者も多く、宇宙飛行士の野口聡一さんは今も現役の指導者。かくいう一宮むすび心療内科院長も一宮第3団の元スカウト。本日はボーイスカウトのモットー『そなえよつねに』がテーマ。

退役軍人のロバート・ベーデン=パウエルは今から百年前、自らの体験を基にイギリスの島で少年20人と実験キャンプを行った。野外活動を通じて自然から学ぶことで、自立心や社会性、協調性を育成しようというボーイスカウト運動の始まりだった。
すぐに日本にも伝わり、大正11(1922)年には連盟が発足、現在15万を超えるメンバーが活動している。小学校入学時から年齢層に応じ、ビーバー、カブ、ボーイ、ベンチャー(以前のシニア)、ローバーの各スカウト隊に分かれる。各隊はいくつかの班に分かれ、隊長ら指導者の下、キャンプやハイキング、地域奉仕活動などに従事する。甲子園野球で出場校カードを捧げ持ち、先導行進するスカウトの凛とした姿を思い出す人もいるだろう。
スカウト活動での行動規範が「おきて」だ。小5から中3までの少年が所属するボーイ隊では8つの「おきて」(以前は11)がある。スカウトは<誠実である>に始まり、< >の中の言葉に「礼儀正しい」や「勇敢である」などの約束が掲げられる。隊員は団旗を前にし、右ひじを直角に曲げ三本指を立てた特有の姿勢で「おきて」を暗唱する。その精髄は「ちかい」に記された①体を強くし②心を健やかに③徳を養う――の3点に集約される。そなえよとは、この三つを常に目指せということにほかならない。
その結果、「いつも他の人々を助けます」という奉仕精神が自然と身に着いていく。むすび院長のころはかなり厳しい指導もあったが、以前は別団体だったガールスカウト女子も、現在は同じ隊に所属して行動をともにするなど、時代に合わせて組織も変わってきた。

昨今のわが国を見渡せば、地震に噴火、土砂災害と自然の猛威にさらされる一方、留め金が錆びて落下したビル看板に頭を直撃された札幌の女性に代表されるように、われわれは常に「危険」と隣り合わせで暮らしている。
医療分野でもリスク・マネージメント(危機管理)が普及浸透している。”ヒヤリ・ハット”という言葉に聞き覚えのある方も多いのではないか。これは、1件の重大事故の背後には29件の軽微な事故があり300件のニアミスがあるとするハインリッヒの法則をもとに、できるだけそうしたリスクを減らそうという対策を表したもので、正直なところ日常診療でのヒヤリ・ハットゼロ、という訳にはいかない。
定期的にスタッフ会議を開くなど反省の日々のなか、僕にとっての羅針盤が『そなえよつねに』なのだ。プリンタのインク、トイレットペーパー補充から始まり、患者さんの心と体の変調を素早くキャッチすることまで、この7文字はつねに僕の脳内を駆け巡っている。
ボーイスカウト時代、1級章を保持して班長を務めてから40年近く経つ。いまだに「もやい結び」という絶対ほどけない救助ロープの結び方はこの両手が覚えている。人と人、心と体を結ぶこと。わが人生の終わらぬテーマ。

甘くて痛い話

2月14日はバレンタインデー。歴史的にはチョコレートと全く関係がないそうだが、いまや我が国製菓業界の存続がかかっているので、この際由来はどちらでもよろしい。今日は、チョコを貰って困る症状の出る人のためのお話。

片頭痛(migraine)。片方の頭と書くので、両側とも痛いのは片頭痛でないと思い込んでいる人がいるため伝えておくと、左右ともに痛むタイプの片頭痛は多い。頭痛学会がこの疾病を定義している。ポイントは①拍動性(ドクンドクン脈打つように痛む)②運動や体位変換で痛みが増強する③吐き気や嘔吐、光や音に過敏になる――など。前兆があるタイプとないタイプがあり、女性に多く、家族にも同様症状を持つひとがある。(遺伝病ではない)。
でも、なぜバレンタインデーに片頭痛?と思ったあなた、最後まで読むとわかります。
その前になぜ頭痛は起きるのか?から。
痛みを感じるのは末梢神経線維が通るところ。じつは脳そのものは痛みを感じない。中枢神経である脳細胞自体に痛覚はないのだ。なので、脳腫瘍除去術のとき神経麻痺を避けるため、麻酔から覚めた状態で執刀することがある。
頭部に痛みを感じるのは、大きな腫瘤による圧迫を除けば、脳内血管が刺激された時ぐらい。何らかの機序で血管が拡張すると、そこを通る神経線維が圧迫され、痛み物質が産生される。だから、脈の拍動に合わせてズキズキガンガンするのだ。
で、なぜチョコレートから片頭痛か、だった。
チョコレートやココアの原料はカカオ豆。成分の一部に、チロシンというたんぱく質から産生される「チラミン」が豊富に存在する。このチラミン、うつ病でよく話題に上る神経伝達物質(セロトニンやノルアドレナリン、ドーパミン)とよく似た構造を持っていて、血管収縮と、その反転としての拡張作用がある。その結果チョコやココアを摂りすぎると、頭痛を起こすというわけだ。
ちなみにチラミンを多く含む物質には赤ワイン、熟成チーズ、空豆、無花果(イチジク)などがある。
亜玉割田代さん(24歳)は幼少時から頭痛に悩んできた。バッファリンやイブなどの常用者。生理前になると「またくるのか」と憂鬱になる。最近は天気が悪いだけで起きるようになった。前述の拍動性、体位変換での増悪、嘔吐など典型的な症状で、母娘2代にわたる片頭痛持ちだ。
ひと月に鎮痛剤を10日以上飲むことも多く、薬剤誘発性頭痛も疑われた。つらいが、市販の鎮痛剤を止めてもらい、予防薬をのんでもらった。同時に、チョコ・チーズをつまみにお酒を飲むのを禁じた。痛み発作の初期にトリプタン製剤という高価な薬を投与したところ、以前よりずいぶん改善したという。痛いときには冷やすこと。温めて良くなるのは筋緊張性頭痛のほうだ。

片頭痛は古来、著名人も悩ませてきた。進化論のダーウィンに精神分析のフロイト、ピカソに樋口一葉。一番有名なのは芥川龍之介だろうか。遺作ともいえる『歯車』は、題名自体が片頭痛の前兆(閃輝暗点)を表している。一読をお勧めする。
というわけで、本命チョコのオニイサンや義理チョコのおじさん、友チョコ・自分チョコのオネエサンたちへひとこと。「チョコはちょこっとネ」。

憶えていることの価値

建国記念の日の11日、ドイツではリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領(享年94歳)の国葬が執り行われた。東西ドイツ統一後初の大統領であり、「ドイツの良心」といわれた氏の言葉「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」は皆の知るところとなったが、心身医学の視点から光を当てるとどうなるかを今日は書いてみたい。

1985年5月8日は、日本でいえば終戦の日(8.15)に当たるベルリン陥落日。首都ボン(当時)連邦議会での戦後40周年演説で、その言葉は発せられた。以下に短旨を示す。(東京新聞から抜粋)

『五月八日は記憶の日である。記憶とは、ある出来事を誠実かつ純粋に思い起こすことを意味する。われわれは戦争と暴力の支配で亡くなったすべての人の悲しみを、とりわけ強制収容所で殺された六百万人のユダヤ人を思い起こす、、、
ドイツ人だからというだけで、罪を負うわけではない。しかし、先人は重い遺産を残した。罪があってもなくても、老いも若きも、われわれすべてが過去を引き受けなければならないということだ。
問題は過去を克服することではない。後になって過去を変えたり、起こらなかったりすることはできない。”過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる。” 非人間的な行為を記憶しようとしない者は、再び(非人間的な行為に)汚染される危険に陥りやすいのである、、、
人間は何をしかねないのか、われわれは自らの歴史から学ぶ。だからわれわれはこれまでと異なる、よりよい人間になったなどとうぬぼれてはならない、、、』

どうだろうか。第二次世界大戦時、兵役で国防軍入営した経験を持ち、兄を戦地で亡くしたヴァイツゼッカー氏の脳梁から滲み出るような言葉を前に、しばし黙考せざるを得ない。
集団としての人間の最たる愚行は戦争にほかならないが、個人レベルで考えたとき、それは殺人行為にあたるだろう。

以前、父親を殺した男性を診察したことがある。妄想に駆り立てられてのことだった。「やらなければやられる」。彼はその後近所に放火しようとして警察に保護され、措置(強制)入院という形で精神科病院の門を潜った。
薬物治療と安静で落ち着いた後、慎重に彼の生い立ちを探った。多くは語らなかったが、彼同様、父親もアルコールを嗜む職人気質の人であったようだ。幼少時、ちょっとしたことですぐ雷が落ちた。げんこつの嵐に見舞われた。良い思い出は皆無。母のことは印象が薄いという。
こういう場合「脳の病気」に落とし込むことでは解決しない。ではどうしたらよいというのだ。

進化論的にいうと、ヒトは他の動物に比べつねに”早産”で生まれる。直立二足歩行への道を遂げた結果、産道が制限され、40週以上まで頭蓋(大脳)の発達を待てなくなったのだ(それでも難産のリスクは常にある)。その代わり、生まれてからある程度成長するまで、親や周囲が育児という”保育器”を利用して生物学的弱点を補う仕組みをこしらえた。
しかし、育児はピュアな本能ではないだけに、ときおりミスが生じる。現代の親たちが抱える懊悩の一つに虐待(とその果ての子殺し)があることは明白だ。今日も愛知県東海市で22歳の母親による2か月児への虐待がニュースになっていた。翻って、父殺しの彼は育てられ方が誤りだったのか、それとももっと他の問題が横たわっていたのかを探るのは、極めつけの難題だ。

少子化核家族化に伴う諸問題は先進国共通の課題。歴史の時間は過去に戻せない。しかし、ヴァイツゼッカー元大統領のいうように、記憶しつづけることは心の健康にとってもカギとなることがわかってきている。EMDRという治療が虐待などによる心の傷(トラウマ)に有効になる。たしか、中島みゆきの歌『誕生』にもあった。憶えていることの大事さ。元大統領の言葉が決して古びないのには、深いわけがあるのだ。

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