2014年11月

笑いと治癒力

今年も12分の11が過ぎた。明日からは師も走り出すせわしない年の瀬。きょうが命日の忘れられない医療ジャーナリストについて書きたい。ノーマン・カズンズ氏(1925-1990・米国出身)。キーワードは笑いと治癒力。

毎週日曜夕方のテレビチャンネルは、我が家では固定されている。6時からのフジ系列(ちびまる子ちゃん→サザエさん)なのだが、”サザエさん症候群”なる言い方がある。あの、♪おさかな くわえた ドラネコ~♪ のメロディを聴くと落ち込む勤め人を指した言葉だ。
医学的には「パブロフの犬」の条件反射と呼ぶ。診察でしょっちゅう説明するので、ご存じない方のために解説しておこう。
実験で犬にエサをやると同時にベルを鳴らす。これを繰り返すと、エサをやらずにベルを鳴らすだけで、よだれを流すことがわかっている。エサとベルという本来無関係な刺激が脳内で結びつき、体が覚え込んだ(学習と呼ぶ)ために起こる。仕事に悩むサラリーマンにとっては、サザエさんの主題歌が件(くだん)の犬のベルと同じ役割を果たしているわけだ。ロシアの生理学者イワン・パブロフ(1849-1936)はこの研究でノーベル医学・生理学賞を受賞している。
この憂鬱をあらかじめ遮ってくれる”処方箋”をお教えしよう。チャンネルを「1」(東海テレビ)でなく、5時半からは「4」(中京テレビ)にしておくこと。昭和41年から続く長寿番組『笑点』が”内服薬”だ。とくに後半の大喜利は、三波伸介司会のころからのファン。毎回時季に合ったテーマ3つに対し、レギュラー落語家6人が珍答名答を繰り広げる。残念なことに三波さんやひいきだった三遊亭小圓遊さんは早逝したが、林家木久蔵改め木久扇がボケキャラで「いやん、ばっかぁ~」とやると、思わず笑い声を上げてしまう。
話が脱線したと思われる方、ちゃんと戻します。(ちなみに三波伸介は ”てんぷくトリオ”だったっけ)

僕が、医学生の頃、関心のあったのが自然治癒力だ。口内炎によく悩まされていたのは、漢方コラムで書いたとおりだが、日にちが経つと治る。しかし、もし指を切り落としたら形成外科医に手術してもらわないとくっつかないだろう。トカゲは尻尾を切られてもまた生えてくるのに、考えればかなり不思議なことなのだ。
そんなころ出会った本がノーマン・カズンズ著『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)。
膠原病に冒された著者は、笑いとビタミンC大量療法で治癒したという。彼はオカルトや魔術に頼ったのではない。 冷徹なジャーナリストの目を持って医療関係者に取材し、主治医の了解を取ったうえで代替療法を選択した。一番の根拠は、笑うと前頭葉機能が賦活され、免疫系に変化が生じるため、治癒に向かうというのだ。
膠原病は、免疫機構が自分自身の臓器を外部からの異物と誤認識して攻撃する病気なので、その仮説は理に適っているといえる。そのころ知り合いの医者から、癌患者がモンブラン登山をすることで免疫力を回復させようとする話を聴いたばかりだったので、余計こころに残っている。

心療内科を訪れる患者さんにも、免疫力低下と思(おぼ)しき人が多い。うつ状態の長く続く患者さんは、たいてい身体症状を2つ3つは抱えている。それが、あるとき劇的に変わることもある。たいていは、診察で笑顔が出る時期だ。以前どこかで聞いた言葉。「悲しいから泣くんじゃない。泣くから悲しいんだ」。認知行動療法の本質をひとことで表現すると、そういうことになる。
僕は密かに、治癒の源泉となる”三種の神器”を唱えている。歌、笑い、そして祈り。(これらについては今後、当コラムで触れていく)。

今回ノーマン・カズンズについて調べ、改めて知った事実がある。彼は、広島名誉市民なのだ。原爆投下4年後のヒロシマを取材し、被曝した牧師・谷本清さんと原爆投下機[エノラ・ゲイ号]副機長を米国で対面させた。その結果、25人の「原爆乙女」がニューヨークで治療を受けることになった。
65歳で没したカズンズ師の衣鉢を継げるような医師を目指して、スマイル訓練をしていこうと想う。
 


手袋を探して生きる

小春日和の勤労感謝の日となった。やわらかな陽差しを受け、街路樹のイチョウも黄金色に輝いて、こころを穏やかにしてくれる。冬将軍到来前の、のどかなひととき。防寒の備えをそろそろしっかり、、、と思うきょうは「手袋の日」。

手袋と聞いて多くのひとが思い起こすのは新美南吉の『手袋を買いに』だろうか。小学校教科書の定番。子狐の純情と母狐の親心が短いやりとりに凝縮され、手袋を買って帰った子狐につぶやいた母狐のひとことが人間社会への痛烈な批判になっている奥深い童話。「ほんとうに人間はいいものかしら」―――

僕が手袋で即座に思い出すのが向田邦子のエッセイ『手袋をさがす』(夜中の薔薇に所収)。47歳の時に22歳の頃を思い出して書いたもの。直木賞受賞4年前の文章だ。
当時、東京・四谷の教育映画製作会社勤めだった向田さんは、ひと冬を手袋なしで過ごした。お気に入りが見つからなかったのが理由だ。
「一体どんな手袋が欲しくてあんなやせ我慢をしていたのか全く思い出せないのがおかしいのですが、とにかく気に入らないものをはめるくらいなら、はめないほうが気持ちがいい、と考えていた」
結局風邪をひいてしまい、母から叱られたが、それでも意地になって買わなかった。ところがある日、会社の上司が向田さんを残業させる。五目そばを2人分取り、すすりながらこう忠告した。
「君のいまやっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかも知れないねえ」
ハッとした向田さんは、気持ちに納得ゆくまでと、久我山の自宅まで15㎞を歩いて帰ろうとした。
彼女は書く。「ぜいたくで虚栄心が強い子供でした。――爪をかむ癖と高のぞみは、はたちを過ぎても直らず」。
若く健康で、暮らしに事欠くこともないのに、「私は何をしたいのか。私は何に向いているのか。――ただ漠然と、今のままではいやだ、何かしっくりしない、と身に過ぎる見果てぬ夢と、爪先立ちしてもなお手のとどかない現実に腹を立てていた」。
ここまでなら、青年時代にありがちな自己愛との葛藤・格闘エピソードと片づけられる。向田邦子のすごいのは、ここからだった。本気で反省し、やり直すのは今とわかったうえで、彼女の出した結論は違った。
「このままゆこう」――高のぞみのイヤな性格ととことん付き合おう。その場しのぎのお手軽な反省で同じ過ちを繰り返すぐらいなら反省なんかしない。
結局5、6㎞ほど歩いて渋谷で電車に乗った向田さんは、翌日から映画雑誌編集員の仕事に応募し、欲しかった米国製の黒いエラスチック水着のために3か月分の給料をつぎ込んだ。その後、週刊誌のルポライターからテレビドラマ放送作家となり、以後は周知の道を歩んでいった。

頑固、気丈、奔放。そうした一面を向田邦子という女性は持っていた。かたや周囲への多彩な関心、驚異的な観察力で”世間をつかむ”能力に長けていた。おそらくそれらは両親から受け継いだ気質と、昭和4年東京に生まれ、父の仕事で全国を転々とした生い立ちがなせる業だったのだろう。
エッセイの最後に彼女はこう書いた。「たったひとつの私の財産といえるのは、いまだに「手袋をさがしている」ということなのです。」


「こどもの日」に産後うつを語った。

11月20日はこどもの日。というと訝(いぶか)しむ人がほとんどだろう。60年前のこと、国連総会で子どもたちの相互理解と福祉増進のために制定された国際デー [Universal Children's Day] なのだ。折しもきょう、大治町保健センターに招かれ、産後うつ病について講演をしたので、ご報告する。

愛知県西部に位置する海部郡大治町は、人口3万を数える名古屋市のベッドタウン。赤シソが特産という。僕が以前マタニティ病院に勤務していたのを知る職員が指名してくださり、保健師・助産師・心理士からなる地元スタッフにお話をした。
テーマは「産後うつ病とエジンバラ産後うつ病スケール(EPDS)」。
EPDSというのは英国で開発された産後のお母さんたちの心の状態を測る物差し。10の質問に答えるだけで、抑うつ状態をよく反映するとして専門家の間で評価され、世界各国で利用されている。
簡便で信頼性が高いので一部自治体で活用されてはいるものの、全国津々浦々にまで普及しているとはいえない。
その理由を考えてみた。
ひとつは、うつ病に対する否定的な先入観がいまだに根強いのではないかという点。うつ病と診断されることへの恐れ。とくに、産後の不安定な時期に「これでうつ病がわかりますよ」といった勢いで質問されてはつらいことは、容易に想像できる。医師やコメディカルには、慎重かつ受容的共感的な態度での対応が望まれる。
また、個人情報保護優先の時代に、自分のプライバシーを侵されたくないという本能的欲求が重なる事情もあるだろう。(これはテクノロジーで情報が丸裸にされるリスクが増大する現実と対になっている)。
講演の冒頭、僕は3人の女性の写真を見せて、参加者に共通点を問うた。
皇太子妃雅子さま、ダイアナ妃、そして女優のブルック・シールズさん。読者の皆さんはお分かりだろうか?


答えは――そう、産後うつ病を患った著名人だ。ブルック・シールズ女史は流産を経験し、7回の体外受精後に授かったものの、今度はうつに悩まされた。彼女の全盛期にファンだったのが浩宮時代の皇太子殿下で、英国留学時代、寄宿部屋の壁に女史のピンナップポスターを貼っていたという逸話もある。そのお妃がうつ(公式発表は適応障害)に悩まれるというのも因果な巡りあわせか。いや、そうではなく、産後うつ病がそれほどポピュラーだという裏打ちでもあると僕は考える。
日本人のうつ病の有病率は約6%。15人に1人はうつ病に罹る。産後うつ病のリスクは10%前後ある。これは無視できない数字だ。
母親がうつになると、育児に影響の出る点も問題だ。われらがクリニックにも連日、育児に悩む20代30代の女性が受診される。

こんな日にとんでもないニュースが飛び込んできた。大阪で3歳の子どもに食事を与えず、餓死させた22歳と19歳の若夫婦が殺人容疑で逮捕された。体重わずか8㎏の女の子の胃袋にはローソクやアルミホイルが残っていたという。育児放棄。ひとことで片づけられる問題ではない。進化の果てに辿りついたヒトの姿が現れている。ヒトのことをホモ・サピエンス(賢い人)という。賢い?きょうは黙り込むしかない夜。


 

壁との格闘

冷戦終結の象徴となったベルリンの壁崩壊からきょうで25年。Google検索でも、ブランデンブルク門上で歓喜に湧くドイツ民衆の姿が映し出されている。奇しくもそのベルリンで、地元紙制定の文学賞が村上春樹氏に贈られた。村上さんは5年前にエルサレム賞を受賞したとき、人間を”卵”に、人間を傷つけ殺すシステムを”壁”に譬(たと)えて「私は常に卵の側に立つ」とスピーチした。彼は今回も「壁は小説家としての私にとってずっと重要なモチーフだった」と語った。

医学部生が最初に学ぶ基礎医学の分野に組織学がある。社会に組織があるように、生物は無数の組織で出来ている。そのおおもととなるのが細胞(Cell)である。ヒトには約60兆個の細胞があるとされる。英語(セル)の語源は「仕切られた部屋」という意味。細胞の内と外を隔てる「壁」が細胞壁だ。動物の細胞では、壁ではなく「膜」と呼ぶ。
体の場合、壁や膜があるおかげで形が保たれ、生命維持活動が成り立つ。その際重要なのが、生体膜は単なる仕切りではなく、内と外との仲介役(メッセンジャー)を果たすことだ。
生物を定義せよと言われたら、読者の皆さんはどう答えるだろうか?
意外と難しい質問だが、膜に仕切られた細胞(一個のみの場合が単細胞生物)をもち、代謝活動を行い、自身の遺伝情報を後の世代に引き継ぐなどが答えの例だろう。
膜を電子顕微鏡レベルに何万倍にも拡大して見ると、あちこちに”穴”が開いているのがわかる。そこにはいわば”関所”が存在し、細胞の内外の物質・エネルギーの出入りをチェック、コントロールしている。
では心の場合、膜に相当するモノは何か?
それが「自我」だ。生まれて間もなくの赤ちゃんには、自我はまだ出来上がっていない。自分の周りにあるものを舐めたり、触ったり、匂いをかいだりするうちに、身体的境界がひとの脳内に出来上がる。それにつれて、あるいは遅れて、自己と他者との心理的境界も形成されていく。一番重要なのが母子関係であることは言を俟(ま)たない。それに必要な時間がおよそ3年。「三つ子の魂百まで」とはこのことを指したことわざだし、一番古い記憶が3歳以前に遡ることがないのも、それと深く関わっている。

人間社会のレベルでは、壁は自由を妨げるものの象徴だ。村上さんは先のスピーチでこう言った。
「壁は私たちを守ることもあるが、そのためには他者を排除しなければならない。やがて時には暴力を伴い、ほかの仕組みの論理を受け入れない固定化したシステムとなる。世界には民族、宗教、不寛容といった多くの壁がある。しかし、ジョン・レノンが歌ったように、誰もが想像する力を持っている。壁に取り囲まれていても壁のない世界について語ることはできる。それが大切で不可欠な何かが始まる出発点になるかもしれない」。
彼のデビュー作「風の歌を聴け」(1979)の出だしは僕の頭から離れない。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」。

わたしたちの内なる壁。それとの格闘は果てしなく続く。それが、生物の定義かもしれない。

ケガレを除く音楽療法

3日は文化の日。日本国憲法公布(明治天皇誕生日)が由来。気象学的には晴れの特異日として知られる。毎年、文化勲章親授式とともに各種褒章伝達式が執り行われるが、今年は歌手の桑田佳祐さんらが紫綬褒章を受章した。

サザンオールスターズのデビュー曲(36年前)はよく覚えている。沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」をただ繋いだ曲名。平成のラップ音楽なき時代の、語尾巻き舌C調言葉のノリ。「いま何時!そーね、だいたいね」は今も耳に残る。
以来、ポップミュージックの表街道をひた走ってきた。そのリーダーが国からご褒美の章をもらう時代。「ずっと目立ちたい一心で、下劣極まりない音楽をやり続けてきた」と自嘲するのも彼らしい。その一方「大衆芸能を導いて来られた数多(あまた)の偉大なる先達たちのおかげ」と感謝の言葉を忘れない。食道がんから復活したせいもあるのだろう。(個人対象なのでやむを得ないが、できればサザン全員に受章してもらいたかった)。

芸術の秋に音楽関係者受章の報を聞いて感じるのが、精神疾患治療としての音楽療法だ。これは「音楽の持つ生理的・心理的・社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること」(日本音楽療法学会の定義)。
僕流にアレンジすると、「耳を通した非言語的心身療法」となる。音楽療法も言葉は使うのだが、言葉の意味を知らずとも成立するのがこのセラピーの特徴だ。だから、脳卒中で言葉が出ない人にも、いやだからこそ音楽が有効となりうる。亡くなった田中角栄元首相は脳梗塞で右半身不随となり、言葉も出なかったが、リハビリで黒田節を歌う練習を続けた。
ただし、音楽療法はいまだ滲透しているとは言い難い。同学会のカリキュラムでセラピストへの道は開けるのだが、国家資格ではないし、療法自体が保険診療の対象になっていない。

最近出た医師向けのリーフレットで音楽療法の特集を組んでいた。そこには音楽療法の専門家でもある精神科医、阪上正巳・大谷正人両氏の対談記事が載っていて興味深く読んだ。おふたりによると、40年間統合失調症の患者さんと音楽セッションを続けてきた作曲家・チェロ奏者の丹野修一さんは次のやり方で成果を挙げている。
ひとりの患者さんが1音か2音を繰り返し奏でるだけのシンプルなもので、それを合奏すると「芸術的音楽空間」が現れるという。患者さんは音楽の歓びを体験し、他者の音に合わせる認知トレーニングにもなるとのことだ。
大谷先生は広汎性発達障害など障害児への特別支援の場で「調性のある音楽」を導入すると効果が高いと訴える。
実は当院に通う患者さんの中にも音楽療法士の女性がいる。彼女は日々、自閉の子や認知症のお年寄りにセラピーを行っている。ぜひ続けてほしいものだ。

このリーフレットに寄稿した精神科医、松波克文氏は、患者さんが音楽を楽しむようになると病気が快復に向かうことが多いと書く。僕は治療としての音楽療法を支えるのが、”歌”そのものと思う。
日常生活のあちこちに潜む心の病の傷口を日々癒すのが歌ではないか?(くちびるに歌を、こころに太陽を)。日常のことを、ハレ(晴れ)に対して、ケ(褻)という。そのエネルギーが枯渇した状態がケガレ(穢れ)だ。ケを回復するのに有効な方法が歌であり、音楽なのだろう。
文化の日というハレの日に、ケガレなき日常を取り戻してくれるサザン・桑田が受章。オメデトウ!ケースケ先輩、これからも歌いつづけてチョースケ。


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