御嶽山が噴火した。28日夜現在、心肺停止者が31人いると伝えられており、残る入山者の救出を祈りたい。
実は「おんたけ山」は国内にいくつもある。通常は長野・岐阜県境にある3067mの活火山のことを指すが、わが国の山岳信仰の大きな柱としてこの御嶽山がある。思うに、あの雄渾(ゆうこん)な山容が信仰の土壌に繋がったのだろう。敬老の日に小欄で、小説「楢山節考」の姥捨て伝説に触れたが、日本人の「山」への敬虔(けいけん)な思いは深く独特なものがあると思える。そのルーツは古事記の海彦・山彦にまで遡ることができる。

偶然に驚いたのが、火山列島ニッポンの報道一色のきょう、元衆議院議長の土井たか子氏が亡くなったと報道されたことだ(20日死去、肺炎。85歳)。
土井さんといえば、社会党(現社民党)の顔であり、護憲運動の中心として当時の中曽根首相と対峙。そして消費税・リクルート問題で揺れた平成元年参院選挙での躍進時の発言、「山が動いた」が代名詞となった。55年体制の終焉期に、選挙民という名の巨大な山を動かし、自民一党支配体制の修正を迫る舵切り役となった。
若い人には「土井たか子、Who(誰)?」ということになろうが、法学部卒の自分にとって、彼女は大きな存在だった。彼女はもともと憲法学者だったからだ。

東京・早稲田で学んでいたころ、あるサークルに入っていた。憲法を知り、守るのが目的のマイナーな集団。日本は民主主義国家だが、それはほぼ法治主義国家といってもよい。そして星の数(約2000)ほどある法律の極北に輝くのが憲法である。まだケツの青かった若造は、法学部で学ぶことイコール憲法を学ぶことだと考えていた。
基本的人権や平和主義について、よく深夜までケンケンガクガクの議論をしたものだ。もちろん、そのかたわら四人で卓を囲んで中国語(ポン・チー・ロン)も勉強した。

「おたかさん」の愛称で呼ばれた土井さんは、筋を通すことで知られていた。「ダメなものはダメ」も、彼女を語る時のフレーズとしてよく使われる。おそらく、憲法学者としての職業的資質とでもいうべき性格から来たのだろうと思う。男女差別の問題にも敏感で、女性初の衆議院議長として登壇した当時、男性議員も「さん」づけで呼んだ場面は今も耳に新しい。ジェンダーという考え方を知ったのも彼女がきっかけだった。

時は川のように流れる。いっぽうで川の湧出源となる山は、いっけん動かざるかのごとくに見える。しかし、いずれも自然の循環のなかでのこと。今回の御嶽山のように、噴火は起きる。山の神にしてみれば、ときおりくしゃみをするような事に過ぎないのだろう。人間の時間の尺度だけでものを考えないことも時には必要なのかもしれない。犠牲者を人身御供として神話化するだけではない知恵を、ひとは持てないものか。