15日は敬老の日。兵庫県多可郡野間谷村が戦後提唱した「としよりの日」がきっかけということだ。農閑期のこの時期に年配者の知恵を借りた村作りを狙ったもので、それが昭和41年(1966年)から国民の祝日となった。
我が国の人口1億2700万人のうち、4人にひとりが65歳、8人にひとりが75歳以上の高齢者。とくに100歳以上の長寿者は調査開始年(昭和38年)には153人だったのが、平成10年には1万人に達し、現在は58820人にのぼる。「きんは百歳、ぎんも百歳」のコマーシャルが懐かしい時代に突入している。

一宮むすび心療内科でも年配の患者さんは増加中で、65歳以上の方が15%を占める。三年前に”五大国民病”に指定された精神疾患だが、その中でも認知症とうつ病は特記されている。高齢化で増加する一方の両疾病の対応が急務とされるためだ。きょうはその認知症についてお伝えしようと思う。

少し前まで「痴呆」と呼ばれていた狭義の認知症は、文字通り、記憶や見当識[今が何月何日で、ここはどこかといった時間空間などの認識力]のような認知機能が後天的に低下した状態を指す。老化に伴う生理的な認知機能の低下[物忘れなど]とは区別される。これは大事なポイントだ。よくいわれるように、朝ごはんのおかずが思い出せないのが生理的物忘れ。食べたこと自体を忘れていたら認知症の疑い濃厚といった具合だ。
認知症とは別の疾患により一時的に同様の症状を呈することがあり、医師にとっては鑑別すべき重要点だ。例えば、アルコール依存症の老人に認知症状が表れた場合、ビタミン不足でなる場合もあれば、知らぬ間に頭を打って血腫(血の塊)が脳を圧迫して似た症状を起こすこともあり、さらには、アルコール性うつ病による抑うつから仮の認知症に陥ることもある。

有津背馬さん(69歳)は定年後の再雇用で働きだしたころから物忘れが目立ち始めた。本人は気にしていないのだが、妻を早くに亡くして一人暮らしであり、近くに住む家族が心配して受診された。生活の段取りが滞り、鍵や銀行通帳を忘れるなどはしょっちゅうで、いつぞやはガスコンロの煮物鍋に火をつけたまま散歩に出かけ、鍋が焦げてボヤ騒ぎとなった。
問診だけからでも、認知症の可能性が大きい。症状が確実に進行してきており、日常生活に支障が出る。そして本人に自覚のない点が見逃せない。精神医学では、病識がない、と表現するが、これがなかなかやっかいだ。
客観的指標としては、脳波や頭部MRI、SPECTといった画像検査があるが、当院のようなクリニックではできない。それをカバーすべく院長の前勤務先や市民病院と連携を取り、検査依頼体制を組んであるのでご安心を。
また、基本検査に長谷川式認知症スケール(HDS-R)がある。これは認知症を疑うすべての方に実施するが、それ以上に詳細で、認知症の大半を占めるアルツハイマー型の認知機能を測る面接検査ADAS-Jcogのコンピュータ機材を最近導入した。定期的なチェックにより病気の進行具合が予測できる。

と此処まで書いて、しかし思うのは、認知症は治すべき疾患か?という本質的な問いである。
認知症の社会的問題は病気そのものよりも、そこからくる徘徊や他者への暴力、事故など[BPSDと呼ばれる]が中心だ。認知症男性の鉄道死亡事故で、介護家族の責任が問われる判決が出て論議を呼んだのは記憶に新しい。”老老介護”の問題も身につまされる。
この機会に、戦後小説の金字塔といわれる深沢七郎の『楢山節考』を久しぶりに読み返した。長野の寒村を舞台にしたこの姥(うば)捨て伝説の話は、身震いするほどに鬼気迫る。その一方で、方言を交え、飄々(ひょうひょう)とした筆致と主人公の老女「おりん」のある意味突き抜けた性格造型のせいか、妙な明るさも併せ持っている。70歳になれば、食い扶持(ぶち)のために人生という舞台から去るのが運命(さだめ)とでもいうかのように、、、。

おん年81歳の永六輔さんは尊敬するひとり。彼の著作『大往生』にこうあった。
「こども笑うな きた道だもの、年寄り笑うな いく道だもの」。