コロナ禍のさなか、衝撃的なニュースが日本列島を走った。難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う京都の女性(51歳)がSNSを通じて知り合った医師に死なせてほしいと依頼。主治医でない2人組が昨年暮れ、百数十万円の報酬で女性を死に至らしめ、嘱託殺人容疑で先日逮捕された。
 このケースが一見して安楽死の要件を満たさないのは明らかだ。ただし、女性の死は重要な問題を提起している。直近の報道で、女性の主治医が生前の様子を語る記事を読んだ。
「彼女はインターネットを使って最新の薬などを調べ、、生きるためにいろんな努力をしていた」。主治医はこうも言う。「この状態で生きていても仕方がないと社会から思われると、その人は生きる意欲をなくしてしまう、、どんな状況でも『生きる選択』ができる社会にしなければいけない」

 『生きる権利と死ぬ権利』(F・サルダ著、みすず書房)が出版されたのはもう32年も前のこと。昭和63年といえば、脳死と臓器移植が社会問題化していた時期だ。
 訳者の外科医森岡恭彦氏は当時、東大教授兼宮内庁御用掛。あとがきで、医療の急速な発達で臓器移植の倫理性や患者の人格、感情への配慮といった問題への関心が欧米に比べ低いなか、著者のフランス人弁護士の洞察に富んだ提言に興味を惹かれ、十年越しで訳出したとある。
 なぜ、私がこの本を持っているのか?
 森岡先生は初版本市販のころ、昭和天皇の膵頭部腫瘍を手術した。宮内庁詰め記者だった私は“森岡番”になり、ずっと夜討ち朝駆けを続けていた。ときには、東大病院の手術室まで押しかけ、「ゴキブリ記者」として文藝春秋に書かれたこともある。
 その森岡先生から、朝日新聞独占インタビューの後追い取材をしたときに贈呈されたのが『生きる権利と死ぬ権利』だった。いかにも外科医といったしなやかで長い指先でサインペンを持ち、謹呈小出将則様と書いてくれた。

 ALSの女性はある意味、「自死」したといえる。ただそれが、本当に彼女の望んだものだったのか、死を与えた医師2人のモラルが厳しく問われなければならない。
 うちのひとり、O容疑者は手塚治虫の名作『ブラック・ジャック(BJ)』の登場人物ドクター・キリコに自分をなぞらえていたとされる。だが、それはきちんとBJを読んでいない証拠だ。キリコのなかにはストレートな優生思想がはびこっていたわけではない。それは、自身医師でもあった手塚の、医学への葛藤から生まれた産物だった。O容疑者の考えがいまのコロナウイルスのように、つぎつぎと「うつる」ことが無いようにするにはどうしたらよいか?もう一度BJを読んで考えたい。