10月10日は中学時代の恩師、長谷川金明先生が亡くなった”命日”なので、ブログを毎年書き続けてきた。昭和39年の東京オリンピック聖火ランナーでもあった体育教師が、今から43年前の秋空の下、わずか27歳でこの世を去らねばならなかった無念さに想いを馳せながら、、。

今年は中日・東京新聞でコラム「元記者の心身カルテ」を連載(毎週火曜・健康面)、10月8日付紙面『体動かし心の病治す』で、うつ病の治療には運動が重要なことを書いた。多忙と転勤のため運動を止めた公務員のうつ状態が悪化し、退職となった事例も示した。
この日曜、担当記者Kさんからスマホ送信された”ゲラ刷り”を確認していると、訃報ニュースが目に留まった。
金田正一さん(86歳)死去ーー中年以上の世代には説明不要な不世出のプロ野球400勝投手、カネやん。「えっ」と思った。年齢からいえば、驚くことではない。反応したのは、5年半前に他界したわが父を思い出したからである。
金田さんは昭和8年、愛知県稲沢生まれ。名古屋の享栄商野球部のエースだった。かたや父は同じ8年生まれで一宮高野球部。昭和25年夏の愛知県大会準決勝で両校は対戦した。結果は一宮高が2対1で勝った。(ちなみに決勝では、後にプロ入りした徳永喜久夫投手率いる瑞陵高に負けたが、その年は愛知県で国体があり、瑞陵、一宮高ともに出場した)
卒業後、野球をやりたかった父は東邦ガスに入り、社会人野球を続けた。そこで母と職場結婚し、僕が生まれた。小学校入学直後から父とキャッチボールをした僕は、少年野球で中日ドラゴンズマークのユニフォームを着てプレイし、後にドラゴンズの親会社である中日新聞に入社した。

昭和ひとケタ世代の父は、口下手で頑固だったが、酒がまわって昔話になると、カネやんの話題になった。享栄商との試合で金田投手からヒットを打ち、試合に勝って国体に出たと。一方で、「あれほど速い球は見たことなかった。プレイボールの球がバッターの頭上はるかに上回り、バックネットの網に挟まったまま落ちてこなかった」とその球威を懐かしんだ。
いまや、長谷川金明先生も、金田正一投手も、わが父小出博己も、彼岸の人となった。向こうの世界は知るよしもないが、きんめい先生はたぶん走りながら指で洟を飛ばしているだろうし、父親はカネやんの剛速球に向かってバットを振っているだろう。