明けましておめでとうございます。あと4ヶ月のあいだ、事あるごとに「平成最後の」という修飾語が付いて回るでしょう。仕事がら、盆と正月くらいしか映画館に足を運ぶ余裕がなく、おそらく平成最後の劇場での観賞となりそうなので、新年の挨拶がわりに当欄でご報告します。観たのは「ボヘミアン・ラプソディ」。

ーーブリティッシュ・ロックグループ、QUEENがアルバムデビューしたのは1973(昭和48)年。僕が彼らの曲にハマったのは翌年発表の『シアー・ハート・アタック』を級友のG君に勧められ聴いてから。中学1年だった。マリー・アントワネットやモエ・エ・シャンドン〔高級シャンパン〕が出てくる貴族的歌詞と、リード・ボーカル、フレディ・マーキュリーの4オクターブを自在に操る透徹した声調にしびれて以来、全ての楽曲をこの両耳に収めてきた。ーー


ボヘミアン・ラプソディ(以下ラプソディ)。4枚目アルバム『オペラ座の夜』に収録された名曲。しかし当初、6分を超える演奏時間や、オペラ調を取り入れた斬新な試みに、音楽雑誌から酷評されたのを覚えている。当時中2の少年に歌詞の意味はほとんどチンプンカンプンだったが、♪ Galileo Galileo、、♪と、地動説を唱えたガリレオを超高音で連呼した箇所ははっきりと耳に残っている。
その直後の歌詞は ♪だけど僕はただの哀れで誰にも愛されない男 貧しい家庭の出の貧しい男、、♪(筆者訳)
今回、ラプソディを観て知ったのだが、フレディ・マーキュリー(本名ファルーク・バルサラ 1946-1991)は英国保護領だったタンザニア・ザンジバルで生まれ、インドで育った。両親はペルシャ系インド人で、ゾロアスター(拝火)教徒。「善き思考・善き言葉・善き行い」の三徳を唱える厳格な父の教育下、7歳からピアノを習い、全寮制英国式寄宿学校に入ってからロックバンドで活動を始めた。16歳でザンジバルに戻るが、革命のため翌年には家族ごと英国に移り住む。アート・カレッジで芸術とグラフィックデザインを学び、クイーンの前にいくつものバンドに加わった。
1970(昭和45)年、フレディはクイーンのメンバーバンドに加わり、翌年から活動開始。この頃、名字をバルサラからマーキュリーに改めている。

映画「ラプソディ」はフレディの単なる伝記ではなく、かと言ってクイーンの音楽映画でもない。残りのメンバーである天文学者〔ブライアン・メイ〕や歯学工学インテリ〔ロジャー・テイラー〕、ロンドン大首席エリート〔ジョン・ディーコン〕に比べ、学歴では見劣りするし、上顎多歯の外見や出自など、引け目を感じただろうなかで、いちばんの悩みは、フレディ自身ゲイであるのを自覚したことだろう。当時は今と違い、LGBTという概念じたい無く、同性愛者と分かった時の世間の反応は容易に想像できる。厳格なゾロアスター教徒であれば、なおさら葛藤は深かったに違いない。
あるクイーン研究者は、映画の題名に使われた「ラプソディ」の歌詞の謎は、フレディがゲイの苦悩を壮大なオペラに仮託して作り上げたものと分析している。そう言われて聴きなおせば、なるほど、その通りかもしれぬと得心するのだが、僕独自の分析では、もう一つ隠れているものがある。
そろそろ、長くなったので、この続きは【下】で書き連ねます。To be continued.