ワールドカップで日本が負け、サッカーは食傷気味の昨夜、NHKで「野球女子」の話題を取り上げていた。女子野球のことではなく、プロ野球を応援する女性が急増している世相を精神科医の香山リカさんらが分析する内容だった。

僕らの子供時代、男の子にとって野球はほとんど”3時のおやつ”だった。なくても生きていけるが、なければ生きる喜びが半減してしまう。とっぷりと日の暮れるまで三角ベースで投げ、打ち、走る。今と違って娯楽としてのスポーツといえばあと大相撲とプロレス、ゴルフくらいだったろう(ボクシングは別格)。
そのなかでも燦然と輝いていたのが、V9時代の巨人である。巨人・大鵬・卵焼き――高度成長を子ども目線のひとことで言い尽くしたことば。僕は、野球に関しては「正しい地元民」として中日ファンだった。しかし、あのころの人間なら多くが感じるだろう王者ジャイアンツへのアンビバレント(両価的)な気持ちは忘れられない。

以前のコラムで書いたように、梶原一騎原作の不朽の名作「巨人の星」(川崎のぼる画)は、ほとんど僕に行動指針を刷り込み続けた。これな単なる「スポーツ根性もの」ではない。ビルドゥンクス・ロマン(青春小説)に満ちあふれた子ども版人生劇場なのだ。詳細は1回のコラムでは要約不可能。今後の当コラム展開を待たれよ。
ひとつだけ。ストーリーは昭和33年、六大学野球で8本の本塁打新記録を樹立し、華々しくデビューした長嶋茂雄(以下敬称略)の入団式に、主人公星飛雄馬がボールを投げつける場面から始まる。それは、戦争にとられて肩を壊し、魔送球を編み出しながら、栄光の巨人軍を去った飛雄馬の父、一徹の無意識の投影ともいえる象徴的場面だ。梶原は最初から戦争への問いかけをする筋立てを仕組んでいる。
そもそも、ヒューマニズムをもじった飛雄馬(ひゅうま)という名前が決まった時点で、この作品の運命が決まったようなものだ。現実とフィクションを往来する手法で人間を描く。その一点において梶原は抜きんでていた。

昭和33年は生まれる前なので、実感としてわからない。だが、長嶋のジャイアンツ入団が社会的事象だったことはよくわかる。400勝投手金田正一とのデビュー戦対決で4打席4三振。扇風機のようにバットを振りぬき、ヘルメットを飛ばすシーンを特集ニュースで何度見たことか。その勇者二人が4日、巨人中日戦で始球式を行う。
残念ながら、高校時代に金田からヒットを打ち、勝利して国体に出たわが親父は、その始球式を観ることができない。かわりにビデオに録り、その様子を仏壇の父に報告しよう。