その日もまた、蒸した梅雨の夜だった。――20年前の今日起きたオウム真理教による松本サリン事件。8人の命を奪い、翌年の地下鉄サリン事件につながる特筆すべき惨事だ。犠牲者の一人に信州大学医学部生がいた。僕は当時、この大学の学生で、彼女は先輩だった。毒ガスが撒(ま)かれた空き地から僕の下宿は数百メートルの場所にあった。

そう、一歩違えば、自分が被害者になっていた。しかし、今夜書きたいのはそのことではなく、事件の第一通報者で容疑者となった河野義行さん(64)についてだ。周知のように河野さんはマスメディアから犯人扱いされた。自宅に化学薬品があったことなどから疑われたことは、薬理学の先輩からの「風の噂」で知った。もちろん医学生とて、サリンがどういうものかは知らないし、当初は原因すら同定できていなかったのだ。
普通に考えれば、河野さんに「動機」は見当たらないし、家族を犠牲にしてまで薬品を撒く道理などないことは自明のはずだが、事件の重大さ、類(たぐい)なさの前に、警察情報のみに頼るマスメディアは盲進するのみで、僕自身もそれを盲信していた。河野さん、すみませんでした。

その後、大学を卒業した僕は、医師として、元マスメディアの端くれとしてサリン事件の行方を眺めていた。東大医学部を出た医師の関与がわかり、河野さんの冤罪が明らかになる中で、際立っていたのは彼の発する言葉と行動だった。新聞やTVの情報だけでの判断だが、つねに冷静さを失わず、むしろ見方によっては「どうして?」とおもえるほど公平な態度をとる。オウム関係者の極刑を望んでも不思議でないのに、「死刑にしては殉教者をつくるだけ」といえる強靭さ。同時に、事件で意識不明となった愛妻の介護を続けた。その献身的な姿がドキュメンタリーで流されるのをみたが、怒りや恨みといった感情のかけらも読み取ることはできなかった。

おそらく、彼の「ひととなり」は平均的な日本人の枠をはるかに超えている。これは邪推だが、かれのその偉大さがかえって、警察の誤捜査・メディアの誤報を誘発した面はないか?事件から20年のインタビューにも河野さんは淡々と応じ、「事件は風化します。その中で残せる教訓を整理していくことが重要」という趣旨の発言をしていた。彼でなければいえない言葉、とおもう。

化学では、酸とアルカリを中和すると水が精製される。異なるものを混ぜて益のある変化を起こす役割が媒介物(メディア)である。マスメディアは河野さんに”メディア”の本質を学ぶべきだし、精神科医は彼に心療の神髄を見るべきだろう。もちろん、僕自身にもそれは当てはまる。鹿児島で釣り糸を垂れて”余生”を送る河野義行さんの表情に仏を見た心地がした。