患者の皆様、院長ブログ読者の皆様、3か月ぶりの投稿です。これはひとえに、筆者の怠慢によるものですが、日々の診察のほか、一ヶ月半に一度の中日新聞でのコラム(「Dr.'sサロン」)、ほぼ毎月のForbes JAPAN原稿の執筆で、本人としてはむしろ「書く」ことに専心している気分であると、冒頭言い訳して、本日の中身に入ります。

私も精神鑑定で関わった滋賀の冤罪事件、湖東記念病院人工呼吸器事件(呼吸器事件)は、刑事事件では被害者西山美香さんの無罪が確定した一方、民事事件では国と滋賀県(捜査・司法当局)を相手取った国家賠償訴訟が進行中です。
再審無罪を勝ち取った呼吸器事件は、地元マスメディアの中日新聞による連載記事が大いに貢献し、その中心となった秦融編集委員がまとめた書籍『冤罪をほどく』(風媒社)が、真相を余すところなく伝えています。
一連の報道は先年、石橋湛山記念早稲田ジャーナリスト大賞(草の根民主主義部門)などに輝いていますが、秦さんの同書が本年度の講談社本田靖春ノンフィクション賞を(鈴木忠平著『嫌われた監督』と同時)受賞したと、秦さんから連絡があり、取る物もとりあえず、伝えたくなったのです。私はかつて記者として働いた中日新聞で、秦さんと同期生という間柄です。

偶然というのは、こういうことを言うんでしょう。いつもなら入浴している午後11時、湯上りのパジャマ姿でNHKテレビをつけると、ドキュメンタリー「事件の涙」が始まりました。タイトルが「無実の死刑囚~免田栄えん罪事件~」と映し出されたので、画面に見入りました。
免田事件は、1948(昭和23)年、熊本県人吉市で起きた強盗殺人の冤罪事件です。当時22歳の免田栄さん(2020年死去)が逮捕され、死刑判決が出ました。34年以上獄につながれ、無罪判決が出たのは1983(昭和58)年でした。

判決のとき、私は早稲田大学法学部4年生でした。マスメディア就職を考えていた時期だったので、初の死刑囚無罪の判決はよく覚えています。「裁判所も間違える」ーーそれが後年医師となり、呼吸器事件に関わってからも、私の脳内に通底音として鳴り響いていたと、かっこよく言えば、言えます。

NHKでは、事件当時からずっと免田事件を追って来た地元熊本日日新聞の元記者高峰武さんを中心にストーリーを展開していました。
免田さんが死の1年ほど前、高峰さんに段ボール箱20個分の資料を託したことが伝えられました。その中で、免田さんは第一回公判からの証人調書を全部書き写し、ひとつひとつ、疑問の個所に赤字で修正を加えていたことが判明します。たとえば、凶器は当初のピストルから日本刀、角棒、斧、そして最後は鉈(なた)と変遷。すべて、警察の誘導尋問と暴力によるでっち上げ調書です。

これを観て私は、呼吸器事件と同じだなと、感慨を新たにしました。一部関係者間では、免田事件などの冤罪は戦後のどさくさの時期だったせいだと言われていますが、
嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!
太宰治ならきっとそういうでしょう。

改めて、ここまで読んで下さった皆さんに、戦前でも令和でも、ひとの心に本質的に違いがあるわけではありません。嘘だと思ったら、上述の本田靖春ノンフィクション賞を獲った秦融著『冤罪をほどく』(風媒社)をひもといてみてください。解るはず、です。
元読売新聞の本田靖春さん(故人)は、私が東京・墨田区の警察回りだった時の記者クラブ「墨東記者会」の大先達です。記念に作った江戸提灯はもう破れてしまいましたが、「ジャーナリスト魂」は敗れないようにと、こころ医者を続けながら思う、きょうこのごろです。