2022年4月25日はロック歌手尾崎豊の没後30年。
有名作家の忌日には「桜桃忌」(太宰治)や「河童忌」(芥川龍之介)など、故人の作品を基に命名されるものが多い。だが寡聞にして、この不世出のロックアーティストの忌日名を知らない。

そこで、尾崎ファンを自認する私が、尾崎の命日を「卒業忌」と名付け、30年追悼文をしたためたい。

尾崎の人となりについては、ForbesJAPANに掲載した私の文章を参照されたい〔前編:「境界」を駆け抜けた尾崎豊の『卒業』に、精神科医が贈る言葉(https://forbesjapan.com/articles/detail/46976)、後編:「自由」を30回、「愛」を182回歌い上げた尾崎豊。31回忌に精神科医が思うこと(https://forbesjapan.com/articles/detail/46977)〕。

当欄では尾崎が残した歌の作品論を中心に語りたい。

過剰なまでに溢れる詞が尾崎の曲の特徴なのは、多くの識者が指摘する通りだ。
尾崎は曲を作る際、まず大学ノートで構想を練り、その文章を再読しながら詞と曲を紡ぎ出した。2ndアルバムの曲『存在』の時は、ノートをまる一冊分も費やしたという。

尾崎の代表曲として、『15の夜』と『卒業』が挙げられる。
両曲の歌詞 ♪盗んだバイクで走り出す♪と、♪夜の校舎 窓ガラス壊して回った♪ は確かに、校内暴力吹き荒れた80年代、「10代の代弁者」としての地位に尾崎を祀(まつ)り上げるキーワードとなった。
しかし、尾崎自身はそれを望んでいなかったし、ForbesJAPANで書いたように、彼の一番重要なパートナーだった須藤晃プロデューサーも『卒業』を「内省的なエレジー」と捉えている。

もとより歌は、歌詞だけ、曲(メロディー)だけでは成立しないし、その詞を分析してみても益多しとは言えないが、尾崎の場合は特別だろう。

『15の夜』と『卒業』の歌詞についての優れた論考を、ライターの見崎鉄氏が『尾崎豊の歌詞論 盗んだバイクと壊れたガラス OZAKI YUTAKA』(アルファベータブックス)で展開している。
たとえば、音声学では濁音には大きさや力強さという「音象徴パターン」があることに触れ、
♪やりばのない気持ちの扉破りたい/校舎の裏 煙草をふかし見つかれば逃げ場もない♪ (『15の夜』)
と「ば」の頻用を示し、
♪心のひとつも解りあえない大人達♪(同)
の「解りあえない」という言い方には、解ってくれないという一方通行ではなく、大人と互角であるという自負があると分析する。

論考の中心は「なぜ盗んだバイクが必要なのか」だろう。
見崎氏は書く。「昼の世界(=学校)が「秩序」を意味するなら、夜の世界は「混沌」である。、、
日常世界の秩序から解放されたそこへ行くには、〈盗んだバイク〉という昼の価値や規範では不正とされる方法で入手した道具を用いなければならない」
夜という異界を巡るには、浦島太郎の亀や『銀河鉄道の夜』の汽車、『となりのトトロ』の猫バスに相当する移動手段が必要だったという。
しかも重要なのは、『15の夜』で歌うのは盗んだバイクで疾走するスリルや興奮ではなく、「街に象徴される大きなシステム」への無力感に気づくのが15歳という年齢だったということだ。

高校3年の終わりの位置から書かれた『卒業』でも、尾崎の客観的かつ俯瞰的な目線(「離見の見」)は変わらないと見崎は考察する。
15歳ではバイクで逃げることしかできなかったのが、18歳では夜の校舎を襲撃する力を持つことができた。もちろんそれは、ヤンキー系少年の破壊行為ではなく、昼の象徴であり壊されることを前提として存在する学校の窓ガラスにむかう、繊細な心の持ち主としての〈俺〉が、ありきたりの日常を終わらせるための手段と捉えるべきという。全く同感である。
「『卒業』という歌は、学校の支配からは卒業できても、次々に待ち受ける支配からは永遠に卒業できないという歌」(同書)

こうした詞(言葉)を産み出す感性はどこから来たのか?

尾崎の5歳上の兄康氏は、早稲田大学法学部で私と同級生だった。面識はないが、彼の著した『弟尾崎豊の愛と死と』(講談社)からは、唯一の兄弟への断ちがたい追慕の情が、法律家らしい冷静な筆致で伝わってくる。
あとがきで康氏は、こう記す。「本書では豊の音楽のことについては触れていない。僕には全くその方面の素養がない」「もっともそんな僕でも、井上陽水の傑作アルバム『氷の世界』は持っていて、小学生だった豊はこれをよく聴いていた」

康氏とほぼ同年なので当たり前ではあるが、私も中学一年の時、愛知県の地方都市で『氷の世界』に聴き惚れていた。その中の一曲「桜三月散歩道」が大好きで、以前当欄でも言及したことがある。(2016年3月25日付)。統計上3月に自殺者が一番多いことを基に書いた。
♪町へ行けば人が死ぬ,,,今は君だけ想って生きよう だって人が狂い始めるのは だって狂った桜が散るのは三月♪

尾崎豊が熱狂的に支持された背景として、上述の若者に支持されるソング・メーカーとしての面のほか、何人もの海外のロック・アーティストのように26歳で桜のように逝った劇的な人生がある。しかも、最期は自殺か他殺かと世情を揺るがした。30年前の追悼式には吉田茂、美空ひばりの時並みの4万人のファンが雨の東京・護国寺に参列した。

早くから、生きることへの根源的な問いかけを続けた尾崎。その中心的なテーマは「愛」だった。
『卒業』で♪愛することと 生きる為にすることの区別迷った♪と歌った。
泉下の尾崎には、4歳年上の私から、文豪ゲーテの言葉を贈りたい。
*愛しもせねば 迷いもせぬ者は もはや埋葬してもらうがいい*
だから、尾崎豊は墓地に眠らぬまま、いつまでも〈俺たち〉のそばに、いる。