勤労感謝の日。パソコンのキーボードを前に夜、こうして一年最後の祝日を振り返る時、脳裏に浮かぶ言葉が「五穀豊穣」と「ひとはパンのみにて生くるものにあらず」。

11月23日は元々「新嘗祭」だった。「にいなめさい」と読む。天皇がその年に収穫された新穀を神前に供え、自らも食す儀式。天皇の代替わり〔践祚=せんそ〕の時におこなわれるのが大嘗祭(だいじょうさい)だ。
敗戦でGHQは戦前の国家神道的な要素をすべて排除したため、国民の祝日として改めて欧米のレイバー・デーとサンクスギビング・デーにならい、「勤労感謝の日」となった。
新嘗祭で米のほかにどんな穀物が供されるのか知らないが、古事記・日本書紀によると、五穀は稲・麦・粟・豆・稗(ひえ)とされる。

ここで、連想は政治に飛ぶ。
先日の衆議院選挙で与党が勝ち、首相となった岸田文雄自民党総裁は、ハト派と呼ばれた派閥、宏池会第9代会長だ。「成長と分配の新資本主義」といっても、どこが新しいのかピンとこないが、宏池会の“開祖”池田勇人元首相が蔵相時代の1950(昭和25)年に放った言葉は政治家失言のなかで最も有名な部類に入る。
「貧乏人は麦を食え」(*)
実際は「所得の少ない方は麦、多い方は米を食うというような経済原則に沿った方へ持っていきたい」という発言だったようだが、後世に残るのは、寸鉄人を刺す(*)の方だろう。

平成バブルの頂点以後、日本経済は「失われた20年」を経て、コロナ禍で先は見えない。上がるのは株価ばかりで、人心のベクトルは逆方向に沈んでいく。
その一方で思い浮かんだのが「ひとはパンのみにて――」の聖書のフレーズだ。
麦食え発言があったのは朝鮮戦争勃発の年だと、社会科が得意だった者ならわかる。だが、同じ年に起きた出来事で忘れてはならないのが「金閣寺放火」だ。
吃音の修行僧が「社会への復讐」のために犯行に及んだとされる事件をモチーフに小説『金閣寺』を書き上げたのが三島由紀夫だった。

これに関して書き始めると夜が明けそうなので、別の機会に譲ろう。ただ、その20年後、市谷自衛隊で自裁した三島が晩年に記したエッセイ『果たし得ていない約束』から、引用せずにはいられない気分だ。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら、、日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

いまや、この国は陸上競技でいうトラックの「第四コーナー」を回り始めているのだろう。国民の6人に1人が相対的貧困と国が公表する時代に私たちはいる。
「食=現実」よりも「美=観念」に従わざるを得なかった三島が、その肉体を鍛え上げた後に退場した時代から半世紀。遺作の題名『豊穣の海』の皮肉を最も知るのは彼自身だったに違いない。三島のそれとは異なる意味で今、私は口をきく気にもなれなくなっている。