五月もまだ半ばというのに、東海地方が梅雨入りした。こうして、クリニックの診察室から窓外を眺めていると、頭の重みと軽い吐き気を感じる。ただそれは、灰色の空のせいではない。2日前に打ち終えた新型コロナウイルスワクチンの副反応からくるものだ。

 先月23日、医療従事者枠として一回目を接種した。指定先の市民病院受付で記入済み問診票と免許証を見せ、外来待合室に腰かけた。周囲で待つのはほとんど女性。おそらく看護師と医療事務だ。
 「〇〇番の方―」 。午後2時35分、呼び入れられて半そでシャツの左腕をめくる。打ち終えた瞬間、女性医師が「血管に当たりました」と抑揚のない声で漏らした。
 こちらも医師という立場上、澄まし顔を続けたものの、成分が血液に入ったら、などと内心はビビっていた。接種数分後から、口渇、ほてり、全身の熱感が生じた。冷静に振り返れば、接種後の一時的な自律神経反射によるものとわかる。75分後に咽頭痛を覚えた時、この「ワクチン記」を書くために、こまめに数字をメモしようと思い立った。
 接種5時間後に悪寒を覚えた。体温36.8度、血圧137/86、脈拍61、酸素飽和濃度(SpO2)98%と正常。出血痕は1週間以上引かなかったが、生活の支障は全くなかった。問題は二回目接種後だった。

 3週後の5月14日(金)。午前の外来を終え、同じ接種会場の市民病院へ。一回目のような出血もなく、打った直後は軽い熱感のみだったが、ちょうど75分後に前回と同じ咽頭痛が起きたのには少々驚いた。その日午後の外来診療はいつものように終わった。
 翌朝、起きると頭が重い。吐き気もする。体温37.5度。「来たか」。土曜の外来は患者さんが多い。気を取り直して、診察を続けたが、どうにもだるい。診察の合間に体温測定。11時10分、37.8度。昼食後カロナール(解熱剤)400㎎ を服用するも、12時54分、38.5度。200㎎ を追加した。
 なんとか、無事に終わったが、気が抜けたせいもあるのか、倦怠感と頭重感は半端なく、風呂にも入らずに布団にもぐりこんだ。家人は「副反応でしょ」とそっけない態度。こういう時の優しいひと言が大事なのが分かっていないと愚痴がでるほど、気持ちが滅入る。朝まで何回も繰り返す悪寒に悩まされた。

 こうやって記すと、コロナワクチン接種を嫌がる人が増えるのではとも思うが、事実を伝えた。しかし、ここから先が、私の本当に言いたいことだ。
 新型コロナウイルスは「自然」現象だ。だがコロナ禍は「社会」現象に入る。もしまだ新聞記者を続けていたら、コロナ関連で取材したいテーマは山ほどある。
 たとえば、昨今の既存メディア離れ。とくに若者の新聞離れは著しいが、彼らはSNSなどでコロナ情報を仕入れる。いわく、コロナは中国の生物兵器製造で漏れたらしい、いわく、ワクチンは不妊になったり、奇形を生むらしい。
 いずれもデマの類いだが、アメリカ前大統領以来、フェイクニュースはもはや道端にごろごろ転がっている。今朝の中日新聞社会面に、妊婦接種「メリットがリスク」上回る、との記事が出ていた。問題は彼女たちがこの情報をどれだけ信じているかだろう、、と思って紙面をめくると、哲学者内山節氏の寄稿「壊れゆく人工的な社会」が目に留まった。
 「社会はさまざまな信頼、信用、共感といった心情に支えられている」と書き出し、今の若者にとって、企業も、自由、民主主義も信頼できず、その傾向が「コロナ下の1年有余の間に、さらに拡大」したと嘆く。
 そして、日本の伝統社会では災害をおこす自然や煩わしい共同体への信頼と共感があったが、近代的な世界でそれが崩れ、いまや大きな転換期にあると喝破している。

 二回目のワクチン接種後48時間でやっと思考能力が戻り、そんなことを思い巡らせながら、記録的に早い梅雨入りのニュースに浸っていた。