コロナ変異株が日本列島を覆っている。そのせいではないが、憲法記念日のきょうもクリニックに出向き、書類作成とコラム準備(Forbes JAPANオンライン版と中日新聞Dr.’sサロン)で一日が過ぎた。
 
 昼、スーパーで買ったイベリコ豚の生姜焼き弁当をほおばりながら、見るともなく窓外を眺めていた。クリニックの目の前には,、由緒ある真清田神社の北に大宮公園がひろがっていて、相撲場や噴水、高齢者用アスレチックなどが散在している。
 目をやると、わが弁当から直線距離50mの場所にある砂場わきに2人組が現れた。
 
 30代後半に見える男性と、小学校低学年とおぼしき女の子。父(たぶん)はブルーシートを敷くと、デイパックから昼食を取り出した。近眼のせいで定かではないが、父は市販の発砲スチロールにみえる丼をすすり、真っ赤な上着の娘はおにぎりらしき食べ物をほおばった。
 目を見張ったのは、ささやかな食事の後だった。男性のわきで女の子がうなだれるように体をもたせかけ、彼はその長い髪をやさしく撫で続けた。
 しばらくじゃれ合った二人は、なにやら話し込んでいたが、内容が分かるわけもない。30分後、父は食後の薬を水筒のお茶(たぶん)で飲むと、親子は立ち上がり、娘が公園内にあるブランコに腰かけた。父はブランコを揺らすとスマホを取り出し、五月の薫風にそよぐ姿を画面に納めていた。

 その光景を眺めていたら、ふいに40年前のことを思い出した。
 
 昭和55年春、東京・神宮球場。私が早稲田大学に入ったのを一番喜んだのは、野球一筋だった父だった。プロ野球四百勝投手の金田正一さんから高校時代に2安打して勝った自慢話。父はこちらから早慶戦に呼ぶでもなく観戦のため上京し、帰りに新宿のつな八で天ぷらをご馳走してくれた。アイスクリームの天ぷらを生まれて初めて食べた。

 早大で私が所属したサークルのひとつが「憲法改悪阻止各界連絡会議」だった。人が人を裁くことの意味を問うために法学部に入ったというのは、就職用の作文だけというわけでもなかった。弁護士になる夢は早々に麻雀仲間に潰されたが、憲法だけは一生懸命に学んだつもりだった。
 ひとつだけ、挙げるなら「カルネアデスの板」。(ご興味のある方は調べてみてください)

 おっと、いけない。まだ、書類が山のように残っている。だが、あの父娘の幸せそうな顔つきが曇るような社会にはしたくない。そのためなら、残りの人生を、賭けてもいい。