戦後75年特集で中日新聞がきょう、『戦争を知らない子供たち』の作詞者、きたやまおさむ(北山修)さん(74歳)のインタビュー記事を載せていたので、まっさきに切り抜き保存した。
 私は新聞記者を辞め、精神科医を目指して医学部に入り直した。しばらくして、あの『帰って来たヨッパライ』をうたっていた「きたやまおさむ」が精神分析の大家と知って、がぜん興味がわいたことを思い出した。
 小学生のころ、つまり高度経済成長まっただなか、一番耳に残る曲が『ヨッパライ』だったからだ。 ♪おらは死んじまっただー♪は今でも、疲れた体を湯船に横たえていると、耳元を流れる時がある。
 少し前、精神医学の学会で北山修先生の講演を聴いたことがある。フォークグループで著名になってからの苦悩や、精神分析を学び実践してきた半生を振り返る話に心うたれた。何冊も買い求めた著書の中に自己分析的な自伝『コブのない駱駝(らくだ)/きたやまおさむ「心」の軌跡』〔岩波書店〕がある。
 冒頭、小学校卒業文集に載せた作文を披露。わんぱくでおっちょこちょいの自分、かつ、それを見つめるもう一人の自分という心の構図は今も変わらないと分析する。京都で内科医院を開く家庭に生まれ、父への期待を背負い医師になったが、さみしさまぎれに与えられた電蓄(電気蓄音機)から軽音楽の世界に入り、精神科医とミュージシャンという二足のわらじをはく葛藤の日々が綴られる。
 そのなかでもとくに腑に落ちたのが、「あれか、これか」と二項対立で決めつけるのでなく、「あれとか、これとか」と漂う「イソップのこうもり」的な思考こそがこれからの時代には必要ではないかと語りかけるところだ。
 それを北山先生は、眼が斜位である身体性と関わっているのではと考察する。二つの眼で立体的に1つに視るのが困難で、手術で改善すると、モノの見方も変わったという。おそらく、私自身の中に北山先生の特質と同じものを見出したから、より共感できたのだろうと思う。
 
 著書の最後に紹介されているのが、ヒット作『悲しくてやりきれない』のB面曲『コブのない駱駝』(作曲:加藤和彦)だ。
♪ 昔 アラビアに コブのない駱駝と 鼻の短い象と 立って歩く豚がいました 彼等は自分の醜さを嘆き アラーの神に祈ったのでした、、♪
 そして、こう記す。「駱駝か馬か、象か河馬か、豚か人か。そう選択を迫られるなかで、いや両方なんだと胸を張って堂々とは主張しないけれど、その「分かれ目」にみっともなく立ち続けることがあってもいいと思います」
 インタビューでも同質の意見が述べられていた。「右でも左でもない、めめしさ守る反戦の歌」。令和はコロナをめぐる自粛戦争の時代でもある。まことにタイムリーな記事だった。