75回目の広島原爆忌。コロナ禍のさなかでの慰霊式。投下時刻の午前8時15分、平和記念公園で黙とうしたのは参列予定の1割に満たぬ八百余人だった。
 被爆者健康手帳を持つ13万6千人の平均年齢は83.31歳。国が援護対象地域外を理由に手帳交付申請を却下したのは違法として処分取り消しを求めた訴訟で、広島地裁は訴えた住民全員を被爆者と認定した。放射性物質を含む「黒い雨」が従来より広範囲に降ったことを認めた画期的な判決だった。
 
 当院にも黒い雨を浴びた男性が受診する。ただし、直接ではなく、母親の胎内で。
 工学系研究者のAさん。2年前に顔面麻痺になり、その後、目の周囲の痙攣が止まらなくなり、受診した。カルテ表紙に「被」と刻印。しかし、被爆当時の話は最初、あえてせず、症状だけに焦点を当てて診察を続けた。メモ片手に、ひとつひとつ事実を確認するように話す。痙攣は簡単には止まらなかったが、ごく少量の薬の工夫と、あとはひたすら話を聴いた。
 
 去年の7月、外来で「もうすぐあの日ですね」と切り出した。努めて淡々と語ってくれたAさんの母の体験を中日新聞生活面のコラム『元記者の心身カルテ』(2019年8月6日付)に書いた。
「、、昭和20(1945)年8月6日、爆心地から2㎞の疎開先。戦地の夫を待ちながら暮らしていた母は、爆風で数m吹き飛ばされた。意識が戻ると、市街で働く自分の妹を捜しに臨月のおなかを抱えて歩いた。地獄を見たという。倒れた人の背中に蛆(うじ)がわいている、、」
 Aさんが生まれたのは終戦月の下旬。予定日より遅かったのが被爆のせいなのか証明はできない。幸い、これまで目立った障害なく、令和時代を迎えた。いや、顔面痙攣は、Aさんの心の澱(おり)のなせる業かもしれない。
「この国は当事者を忘れて経済中心に突っ走ってきた」というAさんにいまのコロナ対策についての思いを尋ねた。
「GoToと感染はどちらがいいとか悪いとかの問題じゃないね。原爆ですら、投下で戦争終結に一役買ったというひとがアメリカにいるしね。でも最近のあちらの若者は否定派が増えてきてる。やっぱり、経験した者とそうでない者との差かね」。どこまでも、冷静沈着な学者だった。だが、その顔面痙攣の下には、はたからは思いもつかない苦悩が隠されている、と感じる。
 『心身カルテ』の最後は、こう締めくくった――「私たちは大きな忘れ物をしたようだ」