「うつる」を辞書で引くと、写る・映る・移る・遷る、と出てくる。大雑把にいえば、ものの色や形がそのまま別面に反映することと、時や人、物が移動していくさまに分けられる。
 当欄のタイトル「ウツるんです」は新型コロナウイルスの流行で始めたもの。英語でいえばinfection(感染)〔世界的疫病はpandemic=あまねく人々に広がる〕。当方の専門は精神科学・心身医学。一見「うつる」病気とは関係なさそうだが、そうではないという興味深い研究を伝える。
 
 ヒトヘルペスウイルス(HHV-6 )はほとんどの人が体内に保有するウイルスだ。子どものころの初発感染は突発性発疹として知られ、大人になっても神経の奥深くに潜伏し、免疫力が落ちると口唇(くちびる)で水疱を作ったりする。
 このHHV-6が鼻の奥にあるにおい感知器の嗅球(きゅうきゅう)に感染すると、SITH-1という遺伝子が産生される。東京慈恵医科大ウイルス学講座の近藤一博医師らがこの遺伝子の機能を調べると、細胞内にカルシウムイオンが流入し、アポトーシスという細胞死を誘導することが判った。
 興味深いことに、SITH-1を発現させたマウスはストレスからうつ状態に陥ったという。そこで健康な人とうつ病患者のそれぞれで、これに対する抗体を測定。はたして8割近いうつ病患者が影響を受け、健常者の12.2倍(オッズ比)もうつ病になり易いとの結果が出た。
 さらに健常者のなかで、全く抑うつ症状のない者と病気ではないが軽く抑うつ傾向のある者を比較。後者の方が抗体価の高いことが判った。

 この研究の背景には、人間の全遺伝子セット(ヒトゲノム)が17年前にすべて解読されたのに、病気の原因はほとんど解明されていない事実がある。そこで近年、人間に寄生する細菌やウイルスの遺伝子も総合的にヒトの遺伝子として調べる必要があるという考え方が提唱された〔これをメタゲノムという〕。
 人はひとりでは生きられない。これは目に見えるメートル、キロメートル(m、㎞)単位の話だけではない。一人の細胞総数(数十兆)よりも多い腸内細菌が健康を左右することからもわかるように、マイクロ・ナノメートル(μm、nm)の世界のほうが重要かもしれないのだ。新型コロナウイルス、またしかり。星の王子様のいうように「大切なものは目に見えない」――