新型コロナウイルスの緊急事態宣言が全国で解除され、一夜明けた日本列島。「新しい日常」が始まった。ターミナル駅からはき出されたマスク顔の勤め人が互いに距離を保とうと、ややぎこちなく進む様子をテレビが映し出していた。
 私のクリニックでは入り口の自動ドアをあけ放ち、紫外線消毒のスリッパ棚が患者さんたちを迎え入れた。待合室ソファに貼ったビニールテープのX点が、ソーシャル・ディスタンスを求める。宣言以後、当院でも患者数は減少した。ウイルスが人を宿主とする以上、病院も感染の場になりうるのは仕方のないことで、それをおそれる人々の気持ちも分かる。
 午前の外来を終え、昼の弁当を買いにスーパーに向かった。大型連休と比べ、明らかに人出は多い。うがち過ぎかもしれないが、かつてより売り子のボリュームが小さい。マスクを通しているせいだけでなく、大声による飛沫感染を防ごうという無意識がなせるわざと感じた。うむ、「男は黙ってサッポロビール」――昭和からはるか来た道のり。
 午後の外来は眠気との戦いも加わるが、コロナ禍いちばんの問題は相手の声が聴きずらいこと。三密を避けるため、本来は閉め切っている窓を開けて、真清田神社の森の空気を取り入れる。ついでに外の生活音も入る仕組みだ。患者用のイスはいつもより離して固定。マスクと机上のアクリル板を通して発せられる彼/彼女たちの「声」に耳を傾ける。悲しいかな、老年性難聴の聴力で悪戦苦闘せねばならない。
 夕食の買いおきパスタを平らげ、誰もいなくなった診察室の鍵を閉める。外は雨。清澄な夜の匂いをかすかに感じ、ハッと気づいた。マスクが邪魔だ。無人の樹々の間をしばし散策し、直接鼻腔からいっぱいにフィトンチッドを吸い込んだ。
 日本が感染爆発に陥らないのは、欧米などと違い、清潔好きでマスク着用が有効なためなどと分析されている。医学的に正確な判定は困難だろうが、それを認めるいっぽう、こころ医者としては負の側面にも目が向かざるを得ない。
 同調圧力。皆がつけるから自分もマスクを着ける。それは文字通り、「仮面」だろう。コロナ禍前は顔隠し用のマスク無しでは外出できなかった社交恐怖(対人恐怖症)の患者が「以前は夏にマスクを着けるとじろじろ見られてつらかったけど、今はみんなが着けてるので楽」と診察で笑顔を見せてくれた。
 西浦博教授によると、緊急事態宣言解除の今は、野球でいえばまだ一回裏を終えた頃という。先は長い。ポストコロナの新しいタイプの悩みを受け止めるために、“マスク”を通さない声をだしていきたい。