先月15日、新型コロナウイルスのパンデミック宣言に言及してから1ヶ月。事態は刻々と進展悪化して、もはや「新型」の形容詞なしで語る“ポストコロナ”の時代に突入している。
 白状すると、マスクが嫌いだ。ネクタイも同じ。体を“縛りつける”ものが苦手なのだ。新聞記者になったのも、医者に転身したのも、それが理由のひとつといって差し支えない。もっといえば、サラリーマンは「組織」という束縛が自由業より強い。
 いま、人のまばらな街を歩いて、マスクを着けていない姿を探す方が難しい状況となった。さすがの私もしないわけにはいかない。今の日本には、同調圧力を避けるよりも、命を選択せざるを得ないコロナ風が吹き荒れる。アベノマスクが最悪なのは、補償をケチるその性根の貧困さもあるが、タイミングが悪すぎるのだ。2か月前から議論していたというのなら、ダイヤモンド・プリンセス号のときにサッサと配るべきだった。緊急事態条項を憲法改正で入れたいから出し惜しみしているんだと勘繰られても、しかたがない。
 9年前に東日本大震災が起きた時の衝撃は、日本人誰もが持ち続けている。「絆」がキーワードになった。今度の衝撃は地球規模だ。ジャレド・ダイアモンドのいうように、人類は有史以来、戦争と自然災害、そして疫病という三大災厄を幾度となく経験して、いまに至る。そのひとつのパンデミックコロナウイルス。当欄で毎年、3.11.を取り上げているようにコロナも取り上げていく。喫緊のキーワードは「社会的距離の保持」。
 ウイルスはそれ自体では代謝をしないし、増殖もしない。宿主に入って、自らの遺伝子をコピーして生き延びる戦略を取っている。なので、外出してもコロナの宿主であるヒトが離れていれば(大体2m)、移らない。そこが震災の時と正反対な対応が求められる辛い災厄なのだ。
 ウツさないこと。そのためには、離れること、同時に人と人の心が結ばれることが一番大事だと思う。