「あの時」から半世紀、平成最後の1月が終わろうとしている。あの時、とは東大紛争のことだ。

全国の医学部で展開されたインターン制度廃止運動の拠点だった東京大学。1969(昭和44)年1月18日から19日にかけ、全共闘学生らが占拠していた東大安田講堂に警視庁機動隊が包囲突入し、バリケード撤去して、封鎖は解除された。
1960、1970年と二度にわたる「安保闘争」関連の中で、東大紛争が一番記憶に残っている理由はひとえに僕の生まれ年と、あの安田講堂攻防戦のニュース映像によるものだ。
拡声器を通じた怒号と放水機から放物線を描いて水煙のわきたつシーンは、3年後にあさま山荘で繰り広げられた巨大鉄球による管理人救出作戦の画像と僕の脳裏でつながっている。

当院にも全共闘世代の患者さんが来られる。
岸和田芽衣子さん(70)は「不安・孤独感」を主訴に受診。 ご主人を病気で亡くし、喪失感から不安が増大したという。老齢期にはありがちなパターンではある。ただ、彼女は生育歴に問題があったから、こうなったと言う。
父親からの虐待、弟の事故死、親族の自殺、周囲の冷徹な視線。山深い地方で育った岸和田さんは定時制高校を卒業し、集団就職で名古屋に出ると保険レディーとして身を粉にして働いた。
岸和田さんが二十歳のときに起きたのが東大紛争だった。仕事先の大学で知り合った夫とのつながりで学生運動に関わっていく。重信房子をかくまった知人もいた。

老年期に入ったいま、高血圧と糖尿、関節痛に悩む岸和田さんは言う。
「佐世保にエンタープライズが寄港してから本気で政治や民主主義のことを考え始めたわ。そのころ鶴見俊輔のこと仲間が書いたのを読んで面白くて。3回うつになってるのね。私も夫に浮気されて一回目のうつ。夫の父と一緒に暮らして二回目のうつ。それで今度が三回目」
岸和田さんたち団塊の世代から周回遅れの僕らは新人類と呼ばれた。〔10・21国際反戦デーで国会前をデモ行進した経験はあるが〕知識としての全共闘を頭で追いながら、彼女に耳を傾ける。
嗚呼、どんどん昭和が遠ざかる――