去年の冬、クリニック移転が余儀なく、右往左往していたのが随分と昔のことのように感じられる。そのころ、1年後が平成最後の冬になるなどとは思いもしなかった。
今年12月23日の天皇誕生日会見。日本国憲法の象徴としての在り方を求め、歩み続けてきた今上天皇の等身大がにじみ出る感銘を受けた。16分余の語り掛けのうち、涙を抑えるように声を詰まらせた場面が何度かあった。
ひとつは11回にわたる沖縄訪問で「人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私ども(=天皇皇后)の思い」に触れた場面。その後、「我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれた」と語るときにも、天皇の声は微(かす)かに震えていた。
平成の30年間を昭和と比べるとき色々な切り口があるが、まとめれば会見で言われたように「平成が戦争のない時代」だったことに尽きるだろう。まさしく昭和が前半の20年間と後半(=戦後)で反転したのと好対照だ。
これに対して海外での絶え間ない戦火を引き合いに出し、ボーダーレス化した国際社会において我が国だけの「平和」を求めることは許されないし、それは不可能な時代に突入しているという主張はあるにせよ、戦後日本の平和を支えたのが現行憲法であることを一番理解しているのが今上天皇なのではないか?
それを思えば、バブル崩壊やリーマンショックで経済的に失われたウン年間だのという評価は小さなことに見える。ただ、AI〔人工知能〕に代表される産業構造の変化で、デジタル化が〔昭和人間とっては〕想定外に進み、マルクス経済学を学んだ時のフレーズ「労働からの疎外」が現実化するのを目の当たりにして戸惑うのも確かだ。
会見で天皇が声を詰まらせた場面がもう一つあった。それは結婚60年、常に歩みを共にしてきた美智子皇后をねぎらうくだりだ。
「深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶とともに、これまでの旅を続けてきました」

思えば僕にとっても平成は人生の半分を超える時間〔とき〕を提供してくれた。新聞記者から医者への転換という岐路に際し、天皇における憲法や皇后のような存在が自分にとっては何であったか?――平成最後の年末年始に、平静心で考えてみたい。皆様にも、よき新年が迎えられますよう――