われ、山にむかいて、目を挙(あ)ぐ〔太宰治の小説『桜桃』冒頭の一節〕

8月11日は一昨年から施行された国民の祝日「山の日」。 7月第三日曜の「海の日」と合わせ、政府は夏のレジャー景気を当て込んだようだが、昭和人間のわが脳裏に浮かぶのは、幼い頃に聴いた「海幸、山幸」の話。

古事記・日本書紀に載る神話。弟の山幸彦と兄海幸彦が猟具と漁具を交換、大事な兄の釣針を失くした弟は困り、探し求めて海の最果てにある綿津見国を訪れた。そこで海神に気に入られ、娘・豊玉姫と結婚して3年の歳月が過ぎた。我に返った山幸彦は姫から釣針と霊力のある2つの珠(たま)を授かり、故郷に戻る。海幸彦と争いになると、言われた通り珠を使って兄を攻め、最後は忠誠を誓わせた。ストーリーは、異なる南方民族との争いの歴史が下敷きになっているという。

ご存知の通り、これは浦島太郎伝説として、各地で語り継がれる昔々物語となる。小学一年のとき、茶話会の出し物で浦島劇が選ばれ、太郎を竜宮城まで送迎する亀役をやった記憶がある。「♪タイやヒラメの舞い踊り~♪」が刷り込みとなり、海に桃源郷を求めてサーファーになったオジサンもいることだろう。

個人的には海派より山派である〔中学時代に買い求めたコンポのスピーカーは“ヤマハ”だったが、もちろん関係ない〕。たぶん、ボーイスカウトで山野を歩き回った経験が大きいのだろうと思う。いちど通った道は絶対に忘れないのが自慢だった〔いまやナビを使っても間違える“ていたらく”にガクゼンとする日々〕。

われらがクリニックにも、山派の患者さんが通われる。
山野須木男さん。大学工学部を卒業した山野さんは自動車部品会社に就職。しかし、来る日も来る日もネジ山に囲まれて過ごすうちに、子供時分の裏山で駆けずり回った日々を思い出し、転身を決意。公務員試験を受け、ある地方の自然環境測定部門に配属された。大気や土壌汚染のモニタリングをしながら、樹木医の資格も取り、メタボになってからは山中を走り回るトレイルにも参加。
50歳目前の今年、富士山マラソンで完走した。富士吉田市役所から標高差3000m以上数十㎞を一気に駆け上る。去年は制限時間直前で涙をのんだが、通常登山2泊3日の道のりを4時間16分で登り切った。
「あきらめない気持ちが、大事」と診察室で朴訥(ぼくとつ)に語る山野さん。左遷人事や子供の障害などにもめげず、目標を成し遂げた。よかったことがある。山中マラソンを続けて、抗うつ薬が全くいらなくなったのだ。

エベレスト最初の登頂者ヒラリー卿の言葉を最後に引いておこう。
「征服すべきは山の頂上ではなく、自分自身だ」
明日は520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故から丸33年。「山の日」は「御巣鷹の日」に重なることを避けて1日前倒しにされた。僕も目標を掲げたい。死ぬまでに富士山に登り、御巣鷹の尾根に向かって鎮魂の祈りを捧げよう。