梅雨前線が日本列島に覆いかぶさり、数十年に一度規模の大雨特別警報が出された日、一連のオウム真理教事件の死刑囚7人に刑が執行された。

24年前の6月27日、当時僕が通っていた信州大学医学部近くで起きた松本サリン事件を昨日のことのように思い出す。長男が生まれて一ヶ月。妻子を名古屋に残し、3年生だった僕はあの日、毒ガスが撒かれた現場から数百メートルのコーポに住んでいた。
清涼なイメージとは裏腹に、松本盆地の夏は暑い。あの夜は蒸すような温風が吹いていたので、窓を閉めてエアコン除湿をフル稼働させていた。だが、無色無臭の猛毒がオウム真理教によって撒かれることを誰が予想しただろう。医学部の先輩がその毒牙にかかり、永遠の別れとなった。

あのとき、サリン発生隣地に家のあった河野義行さん(68歳)が通報し、捜査当局に犯人扱いされなかったら、マスメディアがそれを煽(あお)る報道をしなかったら、翌年の地下鉄サリン事件を防げたのではという議論は、今となっては死んだ子の年を数えるようなものかも知れない。〔アーカイブ2014.6.27.『“メディア”としての河野義行さん。』をお読みください〕
しかし、僕にとっては文字通り他人事ではない。実はオウム真理教は信州大にも信者勧誘の手を伸ばしていた。教養課程だった前年、僕はヨガのサークルに誘われた。コーポにサークル員が訪ねてきたこともある。オウム信者であることは隠していた。なぜか“カン”が働き、入会はしなかった。もし活動を続けていたら、、、

松本サリン事件の年、敬愛する養老孟司氏が東大医学部教授職を定年前に辞め、わざわざ信州に来た。組織学の授業を途中で抜け出して、講演を聴きに行った。詳細は忘れたが、大学組織の硬直性を嘆いていたのは覚えている。
養老先生はその後、サリン開発に関わった医師や教団メンバーにことあるごとに言及している。なぜ、最高学府で科学を学んだ優秀な若者が麻原彰晃の言動を信じるのか?という疑問は、ショーコ―が死刑に処せられても消えない本質的課題として、われわれの胸元に突き付けられている。

高校で覚えた英語のことわざにIt never rains but it pours.(雨降れば土砂降り【ポアズ】)というのがある。
オウム真理教がらみで有名になった単語に「ポア」がある。本来チベット語で、change(変わる)die(死ぬ)の意味。麻原はこれを勝手に捻じ曲げて解釈し、未曽有の殺人テロを正当化した。
この文章を打つ今も刻々と、梅雨前線は土砂降りの雨を西日本各地に降り注いでいる。