平成最後の夏。関東甲信地方では例年になく早い梅雨明けとなったが、まだ集中豪雨や雷突風に悩まされる地域がある。
ことしは太宰治の没後70年。東京・三鷹の玉川上水で心中遺体として見つかったのが、39歳誕生日の6月19日だった。命日の「桜桃忌」は俳句の夏の季語としても定着している。

先ごろ、世話になった方にサクランボを送った。余りの甘酸っぱい果実をほおばりながら、思い出すのは太宰の小説『桜桃』。
ーー「子供より親が大事、と思いたい」で始まる自身の家庭をモチーフにした短編。こども3人のうち男の子に発達障害がある。「四歳の長男は痩せこけていて、まだ立てない。言葉は、アアとかダアとか言うきりで一語も話せず、、、」。その後、小説はこう続く。「父も母も、この長男について、深く話し合うことを避ける。、、母は時々、この子を固く抱きしめる。父はしばしば発作的に、この子を抱いて川に飛び込み死んでしまいたく思う。」
さらに次の段落で、言葉の出ない18歳の息子を薪割(まきわり)で斬殺した親の新聞記事を紹介する形で、ヤケ酒の理由としているのだ。

先月は幼児虐待の記事が目立った。とくに東京・目黒で実母と義理の父から虐待を受け、栄養失調と肺炎で死亡した船戸結愛ちゃん(5歳)。「もうおねがい ゆるしてください」など、仮名のみで書かれたノート文面が報道され、多くの日本人が涙を流した。
児童相談所間、児相と警察の連携不足が指摘されるが、親子ってなんだ!という本質的課題がすべての人に突き付けられている。

当院に通う30代のMさん。幼少時、父から性的虐待を受け、母からも虐待を受けて育った。今でもその影響でスカートがはけない。自身、二度の離婚を経て、いま二人の男児を女手で育てる日々。しかし、かつての光景がフラッシュバックすると我を忘れ、子供に手が出てしまう。
Mさんのメモにこう書いてあった。
「優しくしたいのにできない。長男の名前は私の父がつけたため、名前で呼ぶのが嫌で“おい、お前”って呼んでしまうことがある」。

親と子の深くて暗い溝ーー。なにも平成に始まったことでないことは、太宰の小説を読めばわかる。それでも、次の時代にどうつなげていくのか。虐待の連鎖をぶった切る“薪割り”がほしいと、桜桃の種を吐き出し吐き出し、思った。