師走も残りわずか、クリスマス用イルミネーションがきらびやかに街を飾る。サンタクロースの贈り物を待つ子供たちの顔を思い浮かべてみる。そういえば、サンタの正体が親であることに気づいたのは何歳の時だったかーー

少し前のことになるが、精神科医成田善弘氏の講演を聴く機会があった。先生の著書『贈り物の心理学』を会場で購入して、未読のまま気になっていたのを、お歳暮の季節に一気に読み終えた。
診察室で患者さんから渡された贈り物を受け取るべきか悩み、専門誌に投稿したのが本を書くきっかけだった。精神分析の文献、とくにフロイトが贈り物をどう論じているか関心があったが、意外と語っていないことに気付いた。そこで、腎移植の患者さんとドナーに精神医学的に関わった経験を交じえ、ギリシャ神話や文化人類学、わが国の民話伝承など豊富な知識を引用しながら論じた。

どの章も読みごたえのある内容だが、とりわけ第Ⅵ章「分離と秘密と贈り物」は興味深かった。
「贈る」は「送る」に由来する。つまり、贈るには、別れを否定し、つながり、結合、一体を維持しようという意味がある。同時に贈り物が分離を顕在化させる。
夏目漱石の小説『坊ちゃん』で、同僚の数学教師山嵐におごってもらった氷水代金一銭五厘を返す場面がある。その一方、坊ちゃんは乳母の清(きよ)に借りた三円を5年経っても返さない。
坊ちゃんは清を自分の分身と思うゆえ、恩を着ても平気な甘えられる関係だった。ところが山嵐に裏切られたと思い込んだ途端、わずかな贈り物を返済する義理立てしなくてはならなくなった。
秘密の告白は贈り物と等価であるという。
人は内的な感情、願望、不安を打ち明けることで相手と親密になろうとし、あるいは利益を与えたり、知らない情報を伝えることで心理的上位に立とうとする。これらの働きは贈り物についても当てはまると著者は述べる。
さらに、秘密を打ち明けるには相手の信頼が前提となり、告白は相手を縛ることにつながる、とする。精神科医は患者から重大な秘密を吐露されるとき、重圧を感じることがあるが、それはこうした理由からだ。「贈り物」はサンスクリット語では「拘束」の意味を持つ。
まさに「贈り物の背後には両価的感情が潜むことが多い」〔同書186頁〕

本日、滋賀県・南彦根の湖東記念病院で末期患者が亡くなったのを、人工呼吸器を外したとして殺人に問われた元看護助手西山美香さん(37歳)の再審請求事件で、大阪高裁が再審開始決定を下した。逮捕以来14年ぶりに司法が冤罪の可能性を認めたことになる。
最高裁上告で棄却され、再審請求も一度は却下された末の決定。その間、獄中から一貫して「私は殺ろしていません」と訴え、350余通の無実を訴える手紙を両親に送り続けてきた美香さん。
その真実の叫びの声を最初に受け止めたのが僕の以前勤めていた新聞社だった縁で、彼女と結びついた。美香さんにハンディキャップのある事が、この冤罪の社会的意義をより大きくしたのは確かだ。
有罪の証拠が事実上美香さんの自白のみという時代遅れの捜査、公判を通して、この国で社会的弱者の置かれた位置がクッキリとあぶり出された。
僕にとってはきっと、美香さんの手紙が“神様の贈り物”だったのだろう。彼女にとっての再審決定がそうだったようにーー