NHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」が9月末で終了した。舞台は1964(昭和39)年からの数年間、高度成長期の東京と茨城北部。地元農家の長女で主人公の谷田部みね子は高校を卒業すると、出稼ぎ中に失踪した父の実を探すため、集団就職で上京した。最初は下町のラジオ製作工場で働くが会社は倒産。実の縁で知った赤坂の洋食屋でウェイトレスとなり、そこで織りなす人間模様をテーマにドラマは展開する。
紹介したかったのは、番組序盤の印象的なエピソードだ。
高校卒業を控えたみね子と親友の時子、みつおは、東京オリンピックの国内聖火リレーニュースを聞き、コース選定されていない奥茨城で、せめて自分たちの手作り“聖火リレー”をしようと奮闘する。最初は無理だと周囲から一笑されるみね子たち。だが、こんな片田舎でも気持ちは同じと、情熱を傾ける姿にやがて大人たちも理解を示し、ついに一日数本しかバスの通らない村で自前の聖火リレーを実現したーー

あれから半世紀を経て、再び東京の地でオリンピックが開催されるまで3年を切った。蚊帳も黒電話もニ槽式洗濯機も知らない世代が金メダルを目指して泳ぎ、投げ、走る。人生最初の記憶が東京オリンピックという僕にとっても、国立競技場上空でブルーインパルス5機によって描かれた、あの“五輪雲”のように、ある想いが幾重にも連なって脳裏を駆けめぐる。

長谷川金明(はせがわ・かねあき)〔1948ー1976〕。有名人ではない。愛知県一宮市に生まれ、郷里の体育教諭になった。赴任先が一宮市立南部中。勤務4年目の昭和49年、僕はその中学に進み、長谷川先生が担任となった。体育教師としては細身の身体。顔つきは、そう、Jリーグの中村俊輔選手を思い起こせばよい。皆、本名ではなく、音読みで「きんめい」先生と呼んだ。
金明先生には年子の妹、美知子さんがいる。ラジオパーソナリティーのつボイノリオ氏と同級生。〔そのことは以前当欄で伝えた。アーカイブ『10月10日は体育の日』を是非ご覧下さい〕。以下は美知子さんから聴いた話だ。
父が公務員、母が教師の共働き家庭のため、長谷川家の家事は兄妹の仕事だった。高校受験前、先生は風呂焚きで薪割りに精を出したが、一宮高に進学して陸上競技にのめり込むと、風呂当番は妹に代わった。
「面倒見のいい人でしたよ。私が短大に入ってからも、お小遣いくれましたし。教師の仕事が好きだったんでしょうね、土日も泊まり込みしたり。当時は許されてたんでしょうけど、仕事が遅くなって、お酒が入ったからって、学校に自分の車置いて、私が送迎したこともありました」。
バスケ部顧問で、生徒が試合に負けると、約束通り自分も坊主頭に刈ってしまう潔さが身上だった。

その金明先生が、病に倒れた。僕が中三に上がった年だ。大腸癌だった。腹痛で何回も町医者に通ったが、大したことないとあしらわれた。体育館で逆立ちして痛みを紛らわすことができなくなってようやく市民病院に掛かり、手遅れとわかった。交際女性と籍を入れた頃のことだった。
そして、体育の日の直前、苦しみの中で息を引き取った。葬儀の日、あの秋空の、抜けるような青さが目に沁(し)みたのをいつまでも憶えている。
以前にも書いたように、金明先生は高校1年の秋、東京オリンピックの聖火リレーで一宮市内を走った。中学時代、バスケ部で後輩の坪井令夫(つボイノリオ)君を指導した熱情そのままで、、、。
先生の三十三回忌のとき、美知子さんに聖火リレーの写真を見せてもらった。今年の朝ドラ、茨城での“手作りリレー“をテレビ画面で見つめながら、あの垂れ目の先生をダブらせていた。ドラマのあの場面はてっきりフィクションだと思っていたら、実話に基づくストーリーと最近知った。それをきんめい先生の墓前に報告してあげたい。ーー体育の日は、どうしても10月10日だよね、先生ーー