あの「夏の日」がまた巡ってきたーー520人という単独航空機史上最悪の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故から32年。開院と同時に当欄を始めて以来、毎年「8・12」にはこのテーマで書いてきた。

群馬県・御巣鷹の尾根に墜落、バラバラの機体から奇跡的に救出された吉崎博子(当時34歳)、美紀子(同8歳)さん母娘。駆け出し記者として現場に向かい、二人の担当となった縁が、僕に筆を走らせる。
ブログ一回目は、母娘で入院中に大地震に揺られ、事故のフラッシュバックに苦しんだエピソードとPTSD(心的外傷後ストレス障害)の話。二回目は墜落から発見までに一晩かかったことで失われた命をしのび、GPS全盛の現在(いま)との“時の隔たり”を嘆じた。そして三回目の去年。政治的理由で事故の日を避けて制定された祝日「山の日」にあえて苦言を呈した。

こうやって振り返る最中も僕の耳から離れない言葉が、吉崎家祖母のつぶやきだ。
「マスコミは節目、節目っていうけどさぁ、悲しみに節目は無いじゃんねえ」。

医者となった今も、何か自分なりの理屈をつけて患者さんに説明しようとするとき、なぜかこの言葉が脳裏をよぎるのだ。独りよがりな理由付けが人の心を救うのに役立つことは、少ない。
それでも、忘れないようにすることの意味は失われはしないーー

解離性障害という病気は当欄でも何回か紹介した。「多重人格」〔正式には解離性同一性障害〕を思い浮かべる方がいるかもしれない。人はあまりにもつらい経験をすると、それを無意識の底にしまい込んで耐えようとする。つらい経験は何かの拍子に意識の表面に浮上して心を苦しめる。悩みで葛藤するのには大きなエネルギーが要るので、一部の人は記憶を断ち切ってしまい、無かったことにしようとする。それが行動にあらわれると「記憶のないのに時間がたち、場所が移る」経験となる。その極端な場合が多重人格だ。〔最近、習得した治療技法にUSPTがある。これについては後日、言及予定〕

新米医師のころ、「全健忘」の青年を担当したことがある。自分の名前はおろか、過去のある時期のすべてを忘れてしまったのだ。四苦八苦のカウンセリングを続けたが、記憶が戻る前にこちらが転勤となり、彼の結末は分からない。わかったのは、記憶がなくとも、得意のギターは難なく弾けたことだった。毎朝NHKで放送中の連続TV小説『ひよっこ』でも、主人公の父親が全健忘になっている。結末はどうなるのか、、、。

新聞記者を辞めて医学部入学が決まったとき、東京・練馬の吉崎さん宅を訪問した。事故で悲しむ人たちを助けるお医者さんになって下さいと博子さんに励まされた。
忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよーー“君の名”は、忘れないよ、美紀子ちゃん。