神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者46人が殺傷された事件から丸1年が過ぎた。ーー
天皇陛下は日本人の忘れてはならない4つの日として、沖縄戦終結、広島・長崎の原爆投下、そして終戦の日を挙げる。
もし僕がそれに4つ加えるなら、太平洋戦争開始〔真珠湾攻撃〕、東北大震災による原発事故、オウム・サリン事件、そしてこのやまゆり園殺傷事件を選ぶだろう。どれも常識を超えた事件であり、かつ、まぎれもなく我々日本人の手による “人災”である。ーー

やまゆり園事件発生後、ワイツゼッカー元ドイツ大統領の名演説を引き合いに当欄を埋めた〔アーカイブ2016.7.31.『われらが内なるヒトラー』をお読みください〕。
「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」(1985.ドイツ連邦議会)。第二次世界大戦でナチスドイツを生んだ深い反省が、スピーチの背景にある。劣った人種は排除されるべきという優生思想への猛省。

やまゆり園の元職員だった犯人、植松聖(さとし)被告は、中学時代は障害者に好意的だっという。その彼が最近、中日新聞に三通の手紙を書いた。正確に意思疎通がとれない人間である重度・重複障害者は「幸せを奪い、不幸をばらまく存在」で安楽死対象となる、と主張している。
マスメディアのインタビュー、手紙のやりとりなどの言動は、精神鑑定で自己愛性パーソナリティ障害と指摘された植松被告の側面を物語るが、精神障害者である〔だろう〕彼が、より弱い立場にいる知的障害の人たちを殺(あや)めたという悲劇性に胸が痛む。
自己を大切にできない者の心中で、むしろ自己愛は肥大化する。追悼式典で、自己愛モンスターの毒牙に傷ついた入所者たちの名前が公表できないのが今の日本であるという現実を、われらは直視せねばならない。彼/彼女たちを“いっしょくた”にするな!そこにはひとりひとり、固有の“名前”が存在するのだ!

この事件の教訓として導き出されるのは詰まるところ、われらの心中に棲む「選別思想」なのだろう。
悲しいかな、ヒトラーや植松被告に共通するこの思考回路は、すべての人間に通じていると言わねばなるまい。

たとえば、滋賀湖東記念病院で人工呼吸器を装着した老人が死去した理由を、知的・発達障害を抱える西山美香さんに押し付け、殺人事件に仕立て上げてしまう警察・検察。国家権力側が立てた筋書きは、看護助手(資格不要)は看護師に比べ待遇が悪いという“一般常識”を援用し、「差別される側」がさらに弱い物言わぬ患者を差別するという構図に当てはめたものだ。
その欺瞞(ぎまん)性にこれまで気付かなかった裁判所は、徹底した医学的検討を怠ったために冤罪事件を生み出したといえるが、それだけではないと僕は考える。裁判官ひとりひとりの心の内に巣食う例の「選別思想」が、安易なストーリーにお墨付きを与えてしまった、とはいえまいか?

原発や猛毒、いや戦争すらも凌駕する巨大なデーモン、それがやまゆり園事件に鳴り響く通底音ーー