5・28ブログからひと月半。これだけ長期間、更新しなかったのはいくつかワケがある。最大の理由は僕の怠惰な性格であり、ひとつは前回分をできるだけ多くの人に読んでもらいたかったためだ。“楽屋ネタ”はなるべく避けるべし、なのだろうが、それだけ思い入れの強い文章だったので、冒頭から言い訳をさせていただいた。

さて、六月はいろいろな事件事故が世間をにぎわせた。北九州の記録的集中豪雨被害を気にしながら、ではどんなニュースが、、、とインターネットをのぞき見て驚いた。
社会関連記事で、小林麻央さんの早すぎる別れを抑えて2位にランクインしていたのが、東京・江戸川での痴漢騒ぎだったからだ。
ネット記事によると、6月3日(土曜)午前0時10分、JR総武線平井駅ホームに到着した下り列車で、知人女性3人と乗車していた20代中国人女性が突然「あなたは痴漢です」と日本語で叫んだ。ホームの非常ベルを鳴らして警察が駆けつけ、疑われた男性との間で押し問答。「違う」と訴える男性を援護したのは、事件を目撃した複数の乗客だった。男性の肘(ひじ)が女性の顔に当たって揉めたのが発端とみられ、結局男性は釈放された。
今回は訴えたのが中国人だったことが一つのカギと、記事にある。「気が強いから、自分が被害者だと思ったら、、大騒ぎして周囲を味方にして、相手(加害者)を追い詰めます」(Infoseekより引用)

10年前、痴漢冤罪をテーマにした映画が製作されたーー『それでもボクはやってない(周防正行監督)』。
ある朝の通勤電車。主人公のフリーターが女子中学生に痴漢と間違えられ、逮捕・起訴された。無実の罪をかぶって示談に応じる妥協案を拒んだためだ。
裁判では、検察側立証が不十分と考えていた良識派裁判官が異動となり、検察寄りの心証形成をしていた後任判事により有罪が下るーー「それでも僕はやってない」と主人公は決意を新たにする。

『それでも』が高評価を得て日本アカデミー賞を獲得したのは、作品の完成度に加え、誰もが共感する要素を持っていたからだろう。実際、表舞台に現れない無実の痴漢容疑者が数多くいるとおもわれる。
一番の問題は事件が“見えないこと”にある、と僕は考える。周防監督の映画製作のきっかけとなった例にせよ今回の江戸川のケースにせよ、一部始終を撮影したビデオがあれば、一件落着までは一気呵成だ。

それゆえ、公共の場で「防犯=監視ビデオ」が並置される時代となった今の日本で、警察・検察の取り調べの完全録画化が最優先されるべき重要政策と考える。それまでの間、捜査側の調書はすべて公判開示を義務付けること。これは、冤罪事件の“専門”弁護士である今村核氏も著作『冤罪と裁判』(講談社現代新書)で的確に述べている。

さて、本日の核心はここからなのだが〔前振りが長すぎて、すみません〕、7月9日付中日新聞で再度、“例の冤罪事件”特集を書いている。
「西山美香受刑者の手紙Ⅱ①初動捜査」ーー人工呼吸器でやっと生きていた72歳の男性が亡くなった理由を巡って、常識ではありえないストーリーを捜査側が描き、その通りに“自白”、供述した看護助手が殺人罪に問われた事件。知的・発達障害を抱えた西山さんにとって思いもつかぬ筋書きを作った結果、もぐらたたきゲームやオセロゲームのようにめまぐるしく、供述が変遷する事実を丁寧に追っている。
井本拓志記者は書く。(呼吸器のアラームが)「「鳴らなかった」ことと「殺人」を両立させるには、そのシナリオしかなかったからではないのか」
西山さんの冤罪が晴れることはもちろんだが、自白を真の意味で「プロフェス(神の前での告白)」とするには、権力者(捜査側)のみならず、誰にでも経過を見えるようにすることが必要である、そう告白したい。