5月10日は帝銀事件の平沢貞通死刑囚が獄死してちょうど30年。亡くなった八王子医療刑務所に取材で居合わせた一人として、ある感慨を覚えるーー

昭和62年4月、国鉄民営化によりJRが発足。憲法記念日、朝日新聞阪神支局で赤報隊が散弾銃テロ、小尻知博記者が殺害された。自分と3歳違いの“同胞”の死に衝撃を受けていた矢先のビッグニュース。東京新聞武蔵野通信局に配属されて間もない自分に、「平沢が危篤。八王子に急いでくれ」と指令が飛んだ。
法学部卒の端くれとして、冤罪(えんざい)を訴え続けて獄中39年、再審請求を重ねる帝銀事件は知っていたし、名前の貞通も間違えずに書けたが、テンペラ画の何たるかは分からぬ中途半端なものだった。

昭和23年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店に都の消毒班と名乗る男が侵入した。ニセの集団赤痢発生情報を理由に、予防薬と称して行員らに毒物を飲ませ、12人が死亡、現金・小切手が奪われたのが「帝銀事件」である。当時はまだGHQ占領下で、同事件や国鉄車両が暴走する三鷹事件など、謎に満ちた事件が続出した戦後混乱期だった。
凶器の青酸化合物をいともたやすく操る手口から、当初は陸軍731部隊の関与も取りざたされたが、7か月後に逮捕されたのは、それとは何の関係もないテンペラ画家の平沢(当時56歳)だった。その経緯、GHQ陰謀説などについては作家松本清張の『小説・帝銀事件』をはじめ、あちこちで議論の的となり、映画化もされた。

清張はその後出版した『日本の黒い霧』の中でこう書いている。「最高裁の判決は絶対権威である。、、それには万人が納得するだけの論理と科学性がなくてはならない。少しでもその判決が疑念を持たれたり、曖昧な印象を与えてはならないのである、、」。そして、彼一流の推理を働かせ、平沢無罪論を展開するのだ。
最後はこう結ばれる。「帝銀事件は、われわれに二つの重要な示唆を与えた。われわれの個人生活が、『いつ、どんな機会に「犯人」に仕立上げられるか知れないという条件の中に棲息している不安であり、一つは、この事件に使われた未だに正体不明のその毒物が、今度の新安保による危惧の中にも生きているということである』」(『』内本文に傍点)。
どうだろう、これが57年前に書かれた文章と思えるか?“共謀罪”制定間際の平成ニッポンにそっくり移し替えて何の違和感もない、とはいえまいか?

帝銀事件が僕の心に残る理由は、それだけではない。
平沢死刑判決のかぎとなったのは、逮捕・起訴時の自白だった。
有名な事実だが、事件当時平沢は、狂犬病予防接種の副作用でコルサコフ症候群にかかっており、その症状として「虚言癖」があった。自白の信用性確認のために東大精神科教授らによる精神鑑定が行われ、鑑定人は「平素の状態と大差なし」と結論付け、それが有罪確定に大きな影響を与えたとされる。しかも、その鑑定が間違っているという事後鑑定が、これも東大の後輩精神科医の手で作成されているのだ。

帝銀事件から27年後、冤罪を訴えながら棄却されたある殺人事件後に最高裁が「白鳥決定」を出した。
〔再審決定のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用される〕。
この鉄則が、平成のいま、全国津々浦々の裁判にまで及んでいることを祈るばかりだ。裁判的事実と真実のあいだに横たわるものとはいったい何だろうか、、、