世の中には、いろいろな人がいて、いろいろな考えがある。幸か不幸か、今の仕事についてそんな当たり前のことを改めて思い知らされる。ただし、ここは譲れないということが、ある。それは、「正義」を隠れ蓑にしながら、ひとを攻撃することに酔いしれることである。そうする者が社会的弱者であるか否かは問わない。魂(たましい)が汚れることを嫌うのである。

なおる、に充てる漢字に「直る」を選んだのには、もちろんわけがある。確かに一般的には「治る」である。だが、一ツ家直瑠(仮名)さんには、直の字がふさわしいと感じさせるものがあった。初めて出会った彼女の弱々しいしぐさ、今にも折れそうな体つきは忘れられない。いつ壊れてもおかしくなかった彼女が、長い年月を経て回復した。客観的に見て、それは僕が関わったからだけでないのは当然のことである。周囲の支え、励まし、何より彼女自身のなおりへの思いがそうさせたのだ。
「直」の語源をご存知か?それは本来の姿に戻すことである。価値の値と同じである。大辞泉にはこうある。「良好な状態に戻る。大病が直る。罪が許される」。単にモノがもとに戻るだけではないのだ。いっぽう、「治」のおおもとは、古代中国で氾濫する河川(黄河)を治めることである。川の流れを元に戻すこと、それが政治だ。転じて、人が病気から治ることを指す。直を使った熟語に「直会(なおらい)」がある。神事の最後に参加者で神酒をいただき、神霊を授かることを目的とする儀式行為である。本居宣長は直るの意味を「斎(ものいみ)をゆるべて、平常(つね)に復(かえ)る意」(続紀歴朝詔解)と記している。そう、いつかなおるさんは、その名の通り、平常に戻っていった。――

こうした考えや書き方が気に入らないのならそれはそれでよい。”黙殺”すればよいことである。それをせず、本当に良い医者は「直る」と書かない、などといえば、溜飲は下がるだろう。俗耳に入りやすいレトリックだけに、それを信じる読者もいることだろう。
いろいろ考えた末、今後、このコラムへの「コメント」は取捨選択して掲示することと決めた。いちクリニックのしがないブログではあるが、この文章を楽しみにしてくださる少数者のかたのために、そして僕自身のためにそうする。読者諸賢の宥恕をお願いする次第である。