誰もが予想していなかったであろう、千秋楽での逆転勝ちーー大相撲春場所で、稀勢の里が貴乃花以来22年ぶりに横綱就位初場所での優勝を果たした。この栄冠が意味するものはものは比類なく大きいと思う。わずか二ヶ月前、稀勢の里の横綱昇進を決めた初場所での奮闘ぶりをこのコラムで書いた。常に真剣勝負で相撲道をまい進してきた稀勢の里の「マコト」ぶりを、虚偽性障害という精神疾患と対比させた。
それが今日、さらにその上を行く快挙を成し遂げてくれた。そのオマージュのために急きょ、筆を執った次第。

貴乃花と稀勢の里の共通点は、徹底して相撲へ没入する姿勢だ。そして二人とも名伯楽の下で成長した。ふたりを育ててくれた師匠がやはり、名力士だった。貴乃花の師であった父、貴ノ花は相撲史に残る大関だし、稀勢の里の師匠鳴戸親方は遅咲きの“おしん”横綱だった。大事なのは、両師匠ともに手を抜かないガチンコだったことだ。
前コラムで書いたように、異国出身の力士たちが日本固有の相撲界で地歩を固めるため、お互い手心が加わることはあり得ることなのだろう。それは日本人力士でも同様であり、一時の相撲界が“八百長“気分に流されていたのは紛れも無い事実だ。
それを打ち砕かんと、貴乃花や稀勢の里らの姿勢が実を結んだのか、このところの角界はガチンコ対決が増えてきた。遠藤や宇良らの戦いぶりにも目が離せない。
しかし、13日目に横綱日馬富士が稀勢の里を打ち破り、怪我を負わせた時、思った。ああ、これで今場所はモンゴル勢が持って行くな、と。14日目に、調子の上がらない鶴竜に苦もなく寄り切られた稀勢の里からは、最終日の結果は予想すらできなかった。一体、あの闘志はどこから出ているのだろう?
思うに、13日目の日馬富士のコメントが、さらに稀勢の里を奮い立たせたのでは無いか?「勝負事だからね」。それ以上に彼の脳裏を駆け巡ったのは、師匠隆の里が新横綱で優勝したことだろう。
千秋楽。逆転するには大関照ノ富士に2番続けて勝たなければならない。手負いの稀勢の里にとって、あまりにもハードルは高いと思えた。
取り組みを報道のトップニュースで観た。これしか無い、という取り口で本割に勝ち、決定戦では、これもここしか無いという隘路(あいろ)を見出した小手投げだった。わずか3秒余りの戦いーー久し振りに、相撲の醍醐味を堪能させてもらった。そして、ひとつことに集中し切った人間が成し遂げることの偉大さも。

何やら、下手くそなスポーツ記事のような内容となった今回のブログ。最後にひとつ。
ASD(自閉スペクトラム症)は、他人とのコミュニケーションが苦手で不器用な人たちだ。ただ、好きなこと、関心のあることには集中するとやり遂げる力も持っている。彼/彼女たちにはぜひ、稀勢の里の生きる姿勢を学んでほしい。もちろんこれは僕自身にも当てはまることだろう。