一年でいちばん記念日の多い日、それが11月11日。昨年のこの日、「おりがみの日」にちなんで当院窓口を飾る職員お手製折り紙を紹介、同時に「介護の日」について話題提供したが、今年は18ある記念日のうち「鏡の日」にズーム・イン!

どうして鏡は左右逆に映るのに、上下はそのままなんだろう?
こんな疑問を小さい時に(大人になっても)持った方は少なからずいるのではないか。 
答。ミラーは鏡面を軸に全てを(奥行きも)反転させるので、左右だけが逆に映るのではない。
??わかったような、まだ釈然としないようなーーともあれ、鏡は古来三種の神器のひとつになっているように、私たちの潜在意識と深いつながりがあるのには違いない。そこで、鏡に関わる医学の話題をふたつ提供しよう。

ミラー・ニューロンという神経のかたまりがある。大脳の一部に存在するその神経群の命名根拠は次のようだ。
1996年、イタリアの生理学者たちはマカクザルが物をつかむ時に反応(発火)する脳の場所を探っていた。たまたま実験者がエサを拾う時に発火した脳内箇所が、サルが拾った時と同じであることに気づいた。
サルと同様、人にも電極を刺すわけにはいかないが、機能的MRIでヒトの場合も研究できるようになり、やはり発火することが判った。しかもこの細胞群、視覚だけでなく聴覚にも反応する。自分で紙を破る時と他人が破る時だけでなく、他人が紙を破る音でも同一ニューロンが発火するというのだ。
これは何を意味するのか?
霊長類が社会性を発達させる上で欠かせないのが、「他者の行動意図の理解」だ。ミラーニューロンは幼児の成長過程でより機能すると見られている。発火場所は言語中枢に近い。これからは他人の行為を“猿真似”と馬鹿にすることは止めよう。

ジャック・ラカン(1901ー1981)。フランスの精神分析医。フロイトの後継者として、その難解な言説で知られる。初期ラカンの代表的理論に「鏡像段階」がある。もとより僕が解説できるはずもないが、大ざっぱに言うと次のようだ。
人は解剖学的に神経未成熟で生まれる。赤ん坊を観察してみると、生後数ヶ月は手足を自分のものとして認識出来ていないと分かる動きをする。その後、6ヶ月から18ヶ月の間(フロイト流に言う前エディプス期)に鏡の中の自分を見て、「他者」と出会い、鏡の像を「自己」と認めるところから、自我形成が始まる。
なるほど、自己の中にもう一つの自己が生まれる(多重人格)のには、こうした脳と心のズレが関係しているのだなァ。心の層の深さを垣間見る思いだ。
この理論を知って、すぐ思い起こしたのがグリム童話『白雪姫』だ。白雪姫の母〔実母版と継母版があるのも興味深い〕は毎日、鏡に向かって問いかける。「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」。鏡がゴマすりキンチャクならこの童話は成立しなかった。
当院でカウンセリングを希望する患者さんによく言う言葉。「カウンセリング(Co.)を受ければ、治してくれるという“幻想”は捨てましょう。Co.は鏡のようなものです。貴方の心をそのまま映し出すのがCo.です」。

人はなぜ、毎朝、顔を洗うのか?
答。毎日、鏡を見て自分自身を造りなおすため。