ノーベル文学賞に歌手のボブ・ディランさんが選ばれた。誰もが知るスーパースターの授賞に絶賛の嵐が上がるかたわら、こんな声も聞かれる。「これって、音楽も文学ってこと?」。お笑い芸人の松本人志さんが「ちんぷんかんぷん。ならノーベル音楽賞作ったら?」と疑問を呈した。そもそもディランさん自身が受賞辞退するかもしれない。そこで、ハタと思い当たる事があり、筆を執ることにした。

1941(昭和16)年、アメリカ・ミネソタ州で生まれたロバート・アレン・ツィマーマンは、祖父母がロシア、リトアニア移民のユダヤ系出身。幼少時からピアノやギターを独習し、ブルースを学び、プレスリーに傾倒して1962年、ボブ・ディランとしてデビューした。
初年のアルバム売上は五千枚に留まったが、ランボー・ヴェルレーヌ・ブレイクら詩人小説家の影響を受け、翌年出した『風に吹かれて』でブレークし、公民権運動のうねりの中で、時代の代弁者として持てはやされる。その後ドラッグの洗礼も受けつつ自らの感性を頼りに曲作りは続き、2016(平成28)年の今も世界中でコンサートを続けるシンガーソングライターとして存在を示し、ここしばらくノーベル賞候補に挙がってきた。
音楽と文学。辞書で引くと、どちらの定義にも共通するのが「芸術」だ。と言うと「芸術は爆発だ!」〔岡本太郎〕が思い浮かぶが、音と言葉という入力は異なるものの、爆発のたどり着く先は同じ「魂の解放」だろう。

そこで話は心身医学に移る。
ギリシャ哲学の時代から、心の座がどこにあるか?という心脳問題は思想家や科学者の一大テーマであり続けてきた。一番有名なのがデカルトの心身二元論だろう。「われ思う、ゆえにわれあり」は、すべてを論理的に突き詰めて疑う事から出発してたどり着いた言明といえ、機械論的世界観につながっていく。
心(精神)と体(物質の延長)はそれぞれ独立して存在するという心身二元論では説明困難な両者の相互関連(たとえば恋人に話しかけられるとドキドキする)を結びつけるものとして、デカルトは脳の奥にある松果体を挙げて説明しようとした。 
現代脳科学の知見では、17世紀に生きたデカルトの説明は間違っている。しかし、重要なのはコトの正否ではない。決着のつかない難題を突き詰めて考える事の大切さを松果体の誤謬は物語っている、と僕は思う。
心身医学は哲学的課題であり続ける心脳問題を、医療の場で実践するために生まれた学問だ。患者を単に「病気を持った身体または精神」として捉えるのではなく、「心理的・身体的・社会的に悩みを抱える人」として見る視点から関わる。そこに「心か体か?」という問いかけは、(方法論的には重要だが)、本質的な問題とはならない。

すこし、小難しくなってきたようだ。これも、詩的表現としてさまざまな解釈を許すボブ・ディランの作品の影響を受けたせい、とでも思って下されば幸いだ。
ディランの初期の歌に『ライク・ア・ローリング・ストーン』がある。ロック史上最高の作品という評価が多いが、日本語訳の「転がる石のように」から皆さんは何を思い浮かべるだろうか?
「転石、苔(こけ)むさず」ということわざの意味は人によって異なる。
① 軽々に言動を変える人間は信用されない ② 臨機応変に対応することで活路が生まれる
さて、どちらが“正解”だろう。答えはきっと「風の中にある」。