リオデジャネイロ五輪が閉幕を迎えた。地球の反対側で繰り広げられた熱き闘い。メダルラッシュに輝いた日本人選手たちに時差を忘れて応援した人も多かったに違いない。その中で、精神医学につながる話題をひとつ取り上げたい。キーワードは、“ふたりのA(エース)”。

Birds of a feather flock  together.

ことわざ「類は友を呼ぶ」の英語版だ。
ここで、鳥は複数(birds)なのに、なぜ羽根がひとつ(a feather)なんだろうと不思議がる人に。
不定冠詞の a には単数のほかに、同じ類(たぐ)いの、という意味がある。つまり、「同種の羽根を持つ鳥はともに集まる」が直訳となる。

おそらく同じ羽根を持つのが、競泳米国のマイケル・フェルプスと日本の萩野公介だ。

“水の怪物”と呼ばれ、史上最多の五輪メダル28個を獲得したフェルプスは1985年 、メリーランド州ボルティモア に生まれた。父は元フットボール選手で警察官、母は中学校長を務めた教育者。しかし9歳の時、両親が離婚。その年にフェルプスはADHD(注意欠如症)と診断された。母はフェルプスの有り余るエネルギー発散にと、7歳から泳ぎを習わせている。性格の似る姉の影響もあった。少年時代のニックネームはMP〔上の世代なら終戦後GHQの憲兵を思い浮かべるだろう〕。

ADHDの人は生来の脳のバランスの問題から、じっとしているのが苦手で、注意散漫になりやすい反面、興味のあることには際限なく集中する傾向がある。〔いわゆる多動が無く不注意のみが目立つタイプの人もおり、女性に多いと思われる〕。
アルコールなど依存対象にハマりやすい面があり、外国では銃や薬物との関連も指摘される。ASD(自閉スペクトラム症)を合併している場合はこだわりが強く、自分だけのルールを頑(かたく)なに守ろうとする。ただし、幼少時に虐待を受けると、ADHDやASDと同様の症状を呈することがある。

9歳のフェルプスにとって、親の離婚が性格形成に影響したことは十分に考えられる。
「僕のできる全ては食べて、寝て、泳ぐことさ」という怪物は、「ホテルとプール以外のものを見てみたい」と訴え、前回ロンドン五輪での引退を表明したが、その後酒気帯び運転で2回目の逮捕。リハビリ施設収容中に、確執の続いていた父と面会し、関係修復を図っている。
そして、今回のリオ五輪“復帰”。4年に一回の水泳競技で4連覇すること自体伝説的だが、一度は情熱を無くしたフェルプスが奮起したのは、記録のためばかりではなく、この5月に生まれた長男の存在ゆえだろう。
「父親になっての感想?最高さ」と彼はインタビューに答え、こう言った。「僕はずっと父にそばにいて欲しかった」。

その世界水泳界のレジェンド(伝説)を目指す男が、日本にいる。
萩野はフェルプスの9年後、栃木県小山市で生まれた。一級建築士の父と、絵本読み聞かせボランティアの母との間に育ったひとりっ子の萩野は、父の仕事の都合で小学1年時、名古屋に転居した。市内スイミングスクール入校の条件が背泳、平泳ぎ、バタフライ、自由形の四泳法とも泳げる事。必死でバタフライを練習したおかげで、「今の自分がある」と答えている。
スポーツ雑誌によると、萩野は頑固一徹な所があった。練習はとことんやる。父の洋一さんがこう言う。「言葉の出るのが遅く、自由な方針の幼稚園に通わせた。自分の意思にそぐわないと、テコでも動かなかった」。息子の水着の洗濯は父みずから行い、プールまで2時間半の送迎を母が続けた。
AKB48サイン会に当たれば練習も休みたいと公言する気まぐれな面もある性格を反映してか、和製フェルプスとまで呼ばれた萩野の成績は波があった。病気や怪我もした。だが、その都度萩野は立ち直ってきた。
2011年、脱水で救急搬送。翌年ロンドン五輪で400m個人メドレー銅メダル。昨年は自転車走行中に転倒し、右肘骨折〔ちなみにADHD者には事故が多い〕。そして今年、リオ五輪での同種目金メダル獲得。

200m個人メドレーではフェルプスが金、萩野が銀。ひとつコトを突き詰める才能に恵まれたふたりのエース。闘いの水路には、国境など微塵も感じせない個性のぶつかり合いのみがあった。

南米初の五輪開催地となったブラジル・リオデジャネイロ。オリンピック史上初めて難民選手団が結成されたのは人類の歴史に残る出来事だった。そして、おそらく国のことなど一番には考えずに泳ぎ切ったふたりの“A”の姿が印象に残るスポーツの祭典だった。