8月11日は「山の日」。今年から祝日となった。とにもかくにも、休みが増えるのはありがたい、ということなのだろう。こんな記事が出ていた。
――中部国際空港会社などによると、この夏、繁忙期(8月10~21日)の旅客機予約状況は国際・国内線とも軒並み増加、特に格安航空(LCC)が就航した台湾は62.7%増えた。同社は新たな祝日「山の日」効果で旅行需要が喚起されたことなどが原因とみている――
夏のレジャー経済効果拡大を期待して7月の「海の日」に呼応すべく、国会議員有志連盟が「山の日」を制定した。ただし当初はお盆直前の8月12日を見込んでいたが、その日が日航機墜落事故日に当たることから、地元群馬選出の小渕優子議員(当時)らから反対が出て、日にちを1日前倒しすることで決着した。

結論を先に言えば、「山の日」は、8月12日にこそ制定されるべきではなかったか?その理由を以下に述べていこう。
わが国の祝日に関する法律では、日にちを固定しない“ハッピー・マンデー”を定めている。
○月第○月曜日を(休日ではなく)国民の祝日として定め、消費拡大を狙った政(愚)策は平成10(1998)年に施行された。現在、成人の日、海の日、敬老の日、体育の日が該当する。(アーカイブ『10月10日は体育の日』正・続をお読み下さい)。
背景には平成3年にバブルがはじけ、デフレが進んだ経済情勢があった。しかし、である。1980年代から顕現してきていた“金一神教”(金のみをすべての価値基準とする思考及び行動)が日常に取り込まれるようになったのも、このハッピー・マンデー法と軌を一にしている、と僕は考える。その源泉は高度経済成長と田中金権政治に象徴される“数の論理”に求められる。〔当時、♪ 大きいことはいいことだ おいしく食べて五十円とはいいことだ○○チョコレート♪というCMソングが流行った〕
もちろん戦後昭和の時代にも、拝金主義はあった。が、あくまで本音(=カネ)と建前(=正義)は分けて考えられてきたし、その二枚舌を使い分ける“したたかさ”を日本人は持っていたと思う。平成も、もう残りが少ないこの時期になり、我々はかつての二枚腰を失ったかのようだ。
もっとも、トヨタなど製造業系企業にとって休日は、この法律と無縁だ。工場稼働の停止・再開によるロスを考え、暦と無関係にいち年じゅう土日休が続く。代わりに黄金週間、夏季・冬季休暇はまとめて一週間以上通しだ。産業医をしていると、その辺りの機微が伝わってくる。
以前なら精神的な弱さを持つ社員でも、なんとかのらりくらりで切り抜け、勤務を続けて来られた。しかし、いまやそんな余裕は普通の企業にはない。会社と雇用契約を結んでいる以上、ひとり分の働きが出来ない社員はメンタル不調の烙印を押され、休職が続けば解雇の対象となりうる。

単独航空機事故史上最悪の犠牲者を出した昭和60(1985)年の日航123便墜落事故。乗客乗員524人を乗せ、8月12日午後6時過ぎに東京・羽田を飛び立ったジャンボ機は離陸約15分後、その7年前の着陸事故の修理ミスが原因となって後部隔壁が破壊され、尾翼の大半を失った。
盆休みで東京から帰省する多くのサラリーマンが命を落とした。ジャンボ機が迷走した最期の32分、激しく揺れる機体の座席で書かれた乗客のメモ書き遺書を読むたび、涙で文字が滲(にじ)む。事故から31年経った今も、遺族らは群馬県・御巣鷹の尾根への慰霊登山を続ける。

祝日の意義は単に歓び、祝うだけでないのは、春分・秋分の日などからも明らかだ。人生の節目・心の区切りとなりうるのが祝日であるのなら、「御巣鷹の日」こそ「山の日」にふさわしいのではないか? 政治家には実際に山に登りながら考えてほしい。