今日は母の日。アメリカの南北戦争に反対した女性教師をしのび、5月第2日曜と制定されて今年で100年。日本でも戦後それにならい、カーネーションなどを贈るようになったようだ。今回は「母と5月」をお題に考えてみる。

マザーコンプレックス(マザコン)という言葉自体は有名でも、その意味するところは、なかなか難しい。また、大型連休後に新入社員や新入生がやる気をなくし、出勤、出席できなくなる”五月病”も指摘されてずいぶん経つが、これも医学用語ではない。どちらも広辞苑やウィキペディアでは捉えきれないのだが、ある実例を出してみたい(プライバシィ保護のため事実を変え、本質は残すように努めた)。
 20代の独身男性・今奈門太郎君(仮名)。中学卒業後地元進学校にすすんだものの、部活の人間関係や勉強に悩み、中退。大検の資格を取り、親の縁故である商社に就職したが、入ってわずか2か月で仕事に疑問を持った。自分のやりたい事と違う、などと。なんとか1年もったが、2年目の5月連休明けから出勤拒否に至り、困った母親に連れられて心療内科受診。話をしても、下を向き、ぼそぼそ。抑うつのアンケートの点数は高いが、自殺念慮はない。ノートを使った認知療法と少量の抗うつ薬で治療を始めたが、数回で受診は途切れがちになり、その後は1ヶ月に1回、母が家族受診するようになる。いつも心配そうに「息子は大丈夫でしょうか?」と訊いてくるが、昼夜逆転の生活で夜に何をしているかたずねても、「ゲームをしていると思います」の一点張り。週末は昔の友人とバスケットボールで汗を流す、という。何か月かの母親受診でわかったのは、傷病手当が途切れないように心を配っていることだった、、、。

ひとは、ひとりでに成人するのではない。昔なら通過儀礼という関門があり、共同体という受け皿があった(それには善悪両方あるが、ここでは措く)。核家族化は成長モデルとしての親に過大な役割を負わせすぎる。これは先進国に共通の問題ではあるが、とくに日本の場合は、母性の役割の難しさ、微妙さが欧米とは異なっているように思える。マザコン息子のみが五月病にかかるわけではないにしろ、おそらく、多くの人たちが思い描くのは、そんなイメージとおもわれる。さて、どうしよう。続きは診察室で、なのか、こういう「病気」に心療内科は意味がないのか。――
カーネーション(carnation)の語源は、花弁の肌色(イタリア語)からきているという(研究社新英和中辞典)。そして、それに再び(re)がつくと、転生(reincarnation)となる。母の日に、門太郎君が生まれ変われるかどうか、祈ることにしよう。