ことしの父の日(6月第三日曜)は19日。68年前の同じ日、山崎富栄と心中した太宰治の遺体が玉川上水で見つかった。この日は奇しくも太宰の39歳誕生日。同郷の作家、今官一は6月19日を「桜桃忌」と呼んだ。太宰の晩年の作品『桜桃』にちなんで付けられた“命日”。東京・三鷹の禅林寺には、太宰生前の願い通り、森鷗外の墓の斜向かいに太宰治が眠っている。(アーカイブ2014.6.19.「杏と桜桃」をお読みください)

* 子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいなことを殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。、、*

『桜桃』の冒頭文。もちろん、これは昨今のこども虐待の風潮とは無関係である。ムカンケイどころか、太宰一流のギャクセツ的表現であることは、太宰愛好家ならわかっていることだが、そこが気に入らない、ダザイはダサい、などと抜かす読者もいることだろう。
親と子の関係。これは家庭のモンダイと言い換えられる。家族とは何か?
前々回のブログでお伝えしたように、人と動物を隔てる一番のポイントは想像力だ。(2016.6.5.「おれ、ゴリラ。おれ、ヒトの仲間。」)。「今に生きる」すべての動物のなかで、ヒトだけが想像力で時空を超えた。その結果、生まれたのが「家族」だ。

霊長類学者でゴリラ研究の泰斗、山極壽一京大学長に『家族の起源 父性の登場』(東京大学出版会)という名著がある。山極氏は人類進化のストーリーを描くため、ゴリラやチンパンジーらの行動特性を観察し、分析考察した。その際基準としたのが「食」と「性」だった。
300万年以上前にアフリカの森林で生まれたヒトの祖先の食生活は、
①食物をその場で食べずに持ち帰る
②取り決めに従い食物を分配する
③食事が社会交渉としての機能をもつ
以上の3点で霊長類の食と決定的に異なっていた。

当時地球は寒冷・乾燥化時代に入っていた。草原に進出したヒトの祖先は、食糧源としてそれまでの果実に加え、根茎類をメニューに加える。掘り棒を携えて食材を探すために直立二足歩行を習熟させた。結果、女の骨盤は狭くなり、こどもを未熟児として産まざるを得なくなった。母親の負担が増え、食物を母子の元へ運ぶ必要が生じる。こうして性の分業(男は狩猟採集、女は育児など)、共食が始まり、家族が成立していった。
食の分配は人々の快の感情を刺激し、食事が親睦を深める社会性を帯び、性的な意味が加わっていった。〔いまでも使われる「食べちゃいたいほどかわいい」という表現を思い起こせばよい。一方で人肉食と近親婚のタブーが深層化される〕。
山極氏の記述で興味深いのは、食物を乞われる優位な個体が食物を独占することにある種の後ろめたさを示すことだ。ごく普通に考えて、能力的に強い方が弱者を従えるために食べ物を恵む図式が起源かと思いきや、さにあらず。チンパンジーでも劣位者が優位者にねだるほうが食物を得られる確率が高いことだった。
持てる者の葛藤、、、。

太宰治こと津島修治は、青森・津軽の名家、大地主の六男として生まれた。経済的には恵まれながら、乳母や女中に育てられた太宰にとって、父親になる、ということがどれほど大変だったのか、わかる気がする。

「生れて、すみません(二十世紀旗手)」「恥の多い生涯を送って来ました(人間失格)」

太宰名言の中でも特に知られるこれらの言葉。優位者、持てる者の葛藤を抱えた太宰は戦前のプロレタリア文学やキリスト教にも傾倒していった。優れた作品を残す一方で何度も自殺未遂を起こし、最後は知人女性と心中を遂げる、、、。彼は家庭をどう考えていたのか?
お笑い芸人で芥川賞受賞者の又吉直樹氏は、近著『夜を乗り越える』(小学館よしもと新書)でこう書いている。

*太宰は優しすぎたのだと思っています。――僕もおつき合いしている人がいる時は四六時中ずっと一緒にいたい――でも、友達に誘われたら行ってしまう――「彼女といるから」という理由で友達の誘いを断るという選択肢が僕にはない――最終的には彼女や、家族が戻る場所だと思っているからです。だから、家族が一番犠牲になります。――同じような感情が爆発しているのが、太宰の『桜桃』――*

『桜桃』の主人公の父親は妻と口論になる。いつもは笑いで切り抜けるのが、この日は妻の「涙の谷」という言葉に詰まり、黙って酒場に出て行ってしまう。そこで出されたのがサクランボ。子供たちの見たことのない桜桃を持ち帰ったら、どんなに喜ぶか。しかし、それができない。結局、父がやったことと言えば、極めてまずそうに桜桃を食べては種を吐くことだった。
こんな父(=太宰)を「弱い」と非難することはできる。だが、又吉氏はこうも書くのだ。

*弱いってそもそもいけないのかとも思うんです。――強くなれ、というその言葉で人は傷つきます。*

太宰が桜桃の種を吐きながら、300万年前の先祖さま「ルーシー」に想いを馳せていた、という光景を想像してみるのもわるくない。