大型連休明け、中学生の患者さんを続けて診察した。なかでも不登校のA子さんは修学旅行に行けたと喜んでいた。東京ディズニーランドより国会見学の方が興味がわいたというところが彼女らしいが、そうか、修学旅行シーズンだなあと、しばし感慨にふけった。きょう5月16日は、俳聖・芭蕉(1644-1694)が『奥の細道』の旅路に出た日を祝して設けられた「旅の日」。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。、、」で始まる文章は、中学2年の国語で暗唱させられた。百代の読み方「はくたい」の語感はえらく斬新に聞こえた。唐の詩聖・李白の詩が下敷きと後に知り、なるほどそれで、とうなずいたものだが、最近書店で手に取った『松尾芭蕉 おくのほそ道』(長谷川櫂著、NHK出版)を読んで、その“奥”の深さにあらためて感嘆した。
冒頭、自身も俳人である著者は「芭蕉は日本を代表する最大の詩人」と断ずる。その理由は応仁の乱から関ヶ原の戦いにいたる戦火で滅んだ古い日本文学を蘇らせた点にあるという。脈々と人の心を詠み続けてきた和歌に対し、言葉遊びで低級文芸と侮(あな)どられてきた俳句[連歌の発句]を新境地に引き上げたのが芭蕉だった。

古池や 蛙飛こむ 水のおと 

日本人なら誰でも知っているこの句。しかし、その句意はこの本に教わるまで知らなかった。ふつうなら、古い池にカエルが飛び込む様子を写生したと思うだろう。僕もそうだった。
実際は違った。ある日、芭蕉は門弟たちと隅田川のほとりで俳句を詠んでいた。すると庵の外から蛙が水に飛び込む音が聞こえた。そこでまず「蛙飛こむ水のおと」と詠み、しばし黙考ののち「古池や」を加えた。
ここで重要なのは、古池は芭蕉の心に生まれた“幻影”だということだ。<現実+心>という異次元のものが一句に同居することで躍動感をもたらす。
古池の句の5年後(1689年)、芭蕉は深川の居を人に譲り、門人曾良と600里150日間の旅に出る。一番の理由はみちのく(東北地方)の歌枕(和歌に詠まれた名所)をめぐることだった。[、、松嶋の月、先(まず)心にかかりて、、、は宮城の景勝地、松島のこと]。
中学生レベルなら、江戸時代の優れた紀行文として覚えておけばよいのだが、実際『奥の細道』が完成したのは、旅路の5年後、死去する年のことだった。何回も推敲を重ねた跡が残っており、曾良の日記とは事実で異なる部分も目立つ。つまり、芭蕉が目指したのは単なる旅の記録でなく、古い日本の遺跡を訪ねて開けた新しい世界観だった。それが“不易流行”を踏まえた“かるみ”だ。
この世はたえず変化(=流行)しながら、じつは不変(=不易)である真実。
 閑さや 岩にしみ入 蝉の声
山寺で岩にまで透徹するセミの鳴き声を聞き、天地の閑(しずか)さ、変わりなさを感得する。その自然観の上に立って悲惨である世界を軽々と生きていく(=かるみ)決意。『奥の細道』にはその思想が立ち現れる。そう読むべきだと長谷川氏はいう。

作家の吉川英治は、人生を「片道切符を持って行く旅」と表したが、その切符に印字すべき言葉こそ“かるみ”なのかもしれない。日々の診察でもこの世界観を患者さんたちに伝えていきたいと感じた。
かるく生きる、とは軽薄な人生とは無論違う。いってみればそれは、炭焼きの炭を掌に乗せてなお、口笛を吹くことのできるような境地なのかもしれない。修学旅行の泊まり宿で枕投げに興じ、先生にお目玉を喰らったわが世代も、東京ディズニーランドで電飾パレードに酔いしれる平成っ子世代も、人生という名の重荷を背負って歩き続ける旅に変わりはないのだから、、、。