大阪万博以前の昭和40年代は、そこかしこに原っぱの残っていた時代。そのころ、小学生の男子間で流行っていた替え歌がある。英国童謡『ロンドン橋落ちた』のメロディーで  ♪ アルゼンチンの子ども 子ども 子ども  アルゼンチンの子ども アールゼーン チン子 ♪。 もうひとつ、登下校時のヒマつぶしに使われたなぞなぞ、というか言葉遊びがあった。「ナイチンゲールは男か女か?」~~~~答えと理由は自明なので省略。
そう、きょうは近代看護教育の母、フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)の誕生日、そして国際看護師の日。

ナイチンゲールの名前は小学校時代の遊びで知っていたし、その後も、彼女はクリミア戦争(1854-1856)で従軍看護師として活躍して“白衣の天使”と呼ばれ、赤十字社設立に関わった、という認識でずっときた。ところがこの先入観が、今回当コラムのために読んだ偉人漫画で吹っ飛んだ。
『ナイチンゲール伝』(医学書院)。著者の茨木保さんは産婦人科医。クリニック院長として働くかたわら、医学漫画やエッセイ、テレビ番組の政策協力に携わり、「Dr.コト―診療所」の監修者としても知られる。以下、同書をまとめてみよう。
産業革命を経た英国は19世紀、ヴィクトリア朝と呼ばれる絶頂期を迎え、世界に植民地を求める帝国主義を推し進めていった。この時代に生を享(う)けたのがフローレンス・ナイチンゲールだ。英国上流階級の次女として両親のイタリア旅行中に生まれている。フローレンス(以下“フロー”)は出生地フィレンツェの英語読みだ。
フローは生まれつき変わった娘で、なんでも数えて書き留める癖があった。ケンブリッジ大卒の父はフローの才能を伸ばすべく、ラテン語を含む各国語や歴史、哲学など自ら英才教育を施す。しかし、勉学には秀でたフローの欠点が“完璧主義”だった。家族との食事中も音を立てずにスープをのんだり、食べる順番にこだわり、「食卓恐怖症」に陥った。規則性が大好きな彼女の乱れた心を癒やしたのは数学だった。これがのちに、近代統計学の祖とも呼ばれるフローの原点となった。
そんなフローは16歳の時、神秘体験をする。
「神に仕えよ」
突然の啓示だった。それを「世の中のためになる仕事をせよ」と受け取ったフローは後、社会勉強で訪れた農民小屋の貧困と不安を目の当たりにして心動かされ、24歳で看護師になる決意をしたのだ。
しかし、19世紀半ばの病院は、今からでは想像を絶するほど不衛生な環境だった。微生物による腐敗をパスツールが証明する以前の時代、看護師は「無能でだらしない大酒のみがする下品な仕事」というのが世間の評価だった。案の定、家族から猛反対を受けたフローは、白昼夢に悩まされ抑うつ状態に陥った。
彼女の窮地を救ったのは知人から勧められた転地療法だった。出生地イタリアを訪ねたフローは、ローマでシスティナ礼拝堂壁画に感動して生気が甦る。同時に慈善事業に熱心な資産家ハーバートの知遇を得、33歳の時、再度神の声を聞く。
経営の傾いたロンドンの慈善病院再建責任者となったフローは、持ち前の潔癖性と合理精神をいかんなく発揮し、近代的な「ナイチンゲール式病院」が誕生した。いまでは当たり前のナースコールや温水配管、食事運搬リフトはこの時に生まれたものだ。
この成功を機にフローは支援者ハーバートの信任を得、トルコ領で起きたロシア軍とのクリミア戦争で看護団派遣を依頼された(彼は戦時大臣になっていた)。このときもフローは神の声を聞く。34歳の秋だった。
戦場は地獄だった。クリミア半島の負傷者は黒海の対岸にある野戦病院に運ばれた。30㎝間隔で寝かされた兵士は泥だらけで、薬も手術台もなかった。しかし、フロー率いる看護団の最大の敵は同朋軍のシステムだった。包帯ひとつ調達するのに書類を何回も決済する必要があり、忙殺される医師は患者を診る余裕すらなく、看護師の存在を疎(うと)ましがった。
38人の看護団はまず患者の食事作りに専念した。医師の面子を保ちつつ、実質的な援助から始める作戦に出たのだ。フローは毎夜6㎞にもわたる病棟廊下を巡回し、1万2千人の収容者から「ランプを持った淑女」と呼ばれた。そのかたわら、人脈を利用して議員や従軍牧師らを味方につけ、病的なまでの筆まめを武器に、軍と病院組織の再編成を訴える書簡を本国に送り続けた。
こうした努力が実を結び、フローはヴィクトリア女王からお墨付きの手紙を得る。2年半の滞在でフローレンス・ナイチンゲールの名声は英国中に知れ渡ったが、終戦で帰国したフローは人目を避けるようになり、軍隊改革の夢にうなされる。いまならPTSDと診断されるところだ。
それが一転、ヴィクトリア女王に謁見(えっけん)し、政治家の後援を受けるようになると、水を得た魚のごとく、陸軍の衛生改革を提言し、戦時死亡率をグラフ化するなど働き続けた。過労で再三倒れても完璧主義の彼女は仕事を止めない。家族とも険悪な関係が続き、腹心のハーバートが病に倒れても「仕事を途中で投げる能無し」と罵倒した。
ようやくフローがハーバートの存在の大きさを知ったのは、彼の訃報に接した時だった。41歳にして4回目の神の声が響いた。それ以後、彼女は90歳で死ぬまで声を聞くことはなかった。
赤十字活動はスイスの実業家アンリ・デュナンの提唱で創設された(白地に赤の十字はスイス国旗の色の反転)。ナイチンゲールが作ったという誤解をする人が多いようだが、フロー自身は赤十字活動には参加していない。「構成員の自己犠牲に依存する援助活動は長続きしない」という持論からだったという。
その一方で、貧困者や病者を救済するシステム作りは、ロンドンでの病院改革以来フローの信念であり、その方向性は赤十字活動と一致する。

看護師を目指す学生が病院実習の前に教員からナースキャップを授けられる戴帽式のとき、キャンドルの灯りでナイチンゲール誓詞を朗読する。しかし、フローレンス本人はこの誓詞に全く関わっていない。
芥川が書いたように、フローレンス・ナイチンゲールという稀有な人格の前に、同世代はついに理解できず、後世代は「香を焚いている(=有り難がってまつり上げる)」のかもしれない。

白衣の天使は同時に孤高の戦士でもあった。