陽の光まぶしく、ゴールデン・ウィークにふさわしい気候。しかし、熊本・大分地方ではいまだに揺れが止まない。余震は1000回を大きく超え、4月14・16日の震度7がわずか三週間前の出来事とは思えないほど時間(とき)が長く感じられる。いまだに2万の人々が避難生活を強いられるなか、“火の国”を想う。

ことしは明日のこどもの日が「立夏」。二十四節気をさらに三つずつに分けた七十二候でいうと、これからの6日間は「蛙(かえる)始めて鳴く」と表す。八十八夜を過ぎ、田んぼに水が張られ、求愛の声高々に、カエルの合唱が始まる季節というわけだ。

カエルと聞いて思い起こす詩人といえば、草野心平(1903-1988)。福島・いわきの出身。”蛙詩人”と呼ばれ、カエルを題材とした多くの作品を残した。中学の教科書にあった「さむいね。ああさむいね、、」で始まる二匹の蛙のつぶやきの詩(『秋の夜の会話』)を思い出す人も多いのではないか。
心平は同じ東北出身の宮沢賢治の7年後の生まれで、21歳の時賢治の詩集『春と修羅』に感銘を受け、同人として交流。直接会うことのないまま、賢治が昭和8年に亡くなると、その紹介に尽力した。賢治と同じく、いち時期農業を志すものの、新聞社や出版社に就職したり、焼き鳥屋を構えたりと、職を転々とした。この時代のつねで、太平洋戦争の兵役に取られ、終戦後家族と中国から引き揚げている。
心平はその後も貸本屋を開いて1年足らずで閉め、単身上京し住まいを転々とするなど、世事に縛られず、わが道をずんずん・ひょうひょうと生きていったように見える。

『春殖』という詩を読んでびっくりした記憶がある。
 “るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる”

「る」が27文字並んだだけの詩。「る」の文字をカエルの産卵の数珠つなぎに見立て、視覚効果を狙ったのだとはわかったが、そんなシャラクサイ解釈を拒んだところにこの詩の価値があるのだろう。

そんな心平さん、カエルが登場しない詩ももちろん残している。少し長いが、詩集『マンモスの牙』から『五月』という作品を紹介する。[草野心平詩集 ハルキ文庫より引用]

“すこし落着いてくれよ五月。
 ぼうっと人がたたずむように少し休んでくれよ五月。

 樹木たちが偉いのは冬。
 そして美しいのは芽ばえの時。
 盛んな春の最後をすぎると夏の。

 濃緑になるがそれはもはや惰性にすぎない。
 夏の天は激烈だが。
 惰性のうっそうを私はむしろ憎む。

 五月は樹木や花たちの溢れるとき。
 小鳥たちの恋愛のとき。
 雨とうっそうの夏になるまえのひとときを五月よ。
 落着き休み。
 まんべんなく黒子も足裏も見せてくれよ五月。”

僕の前任病院で一緒だった看護師さんは熊本出身。彼女からのメールで地元の様子をうかがい知った。
現地では、ライフラインが回復し、ごみ処分場の問題が出始めた今のほうが、震災直後より「メンタルのケアが必要になってきている」という。ストレスで下血した親友がいる。気丈な彼女の姉が夜怖くて不安になっている。いつ止むとも知れぬ余震の中で、、、。
なので熊本の五月よ。地下の活断層よ。もう落着いて休んでおくれよ。

熊本へは数年前に旅行したことがある。雄大な阿蘇山を前に、さすが肥後の国は火(肥)の国、と思ったものだ。東北大震災以来の災害に見舞われた彼の地から630㎞離れた愛知県に住む僕ができることは募金と、こんな文章を書くぐらいのこと。
水辺に住まう両生類のカエルがナマズと対峙するのかどうか知らないが、火の国の人たちが早く安住の地にカエルことができるよう此の地で祈っています。