昭和の日が過ぎようとしている。平成の御世(みよ)を迎えて四半世紀が経ったことに感慨にふけるのはおそらく、むすび院長より上の世代だろうが、今夜は少し、昭和天皇の言動と絡めて考えてみたい。
入江相政侍従長日記によれば、昭和天皇はあるとき、皇居で侍従長らが刈り取った草について「雑草という草はない」と話したという。生物学者としての側面を持つ昭和天皇は、ひとつひとつの草々にも固有の名前があることをいわれ、名も無き人々への思いを込められたと解釈されて、かなり有名なエピソードの一つとなっている。
今でこそSMAPの「世界にひとつだけの花」を思い起こさせ、なんということもない内容に思えるが、平成バブルを経験する前の”昭和人”にとっては、これはかなり重大な意味を含んでいたと考える。それは、昭和20年をさかいに、国家の君主(臣民という”赤子の親”)から、国民の象徴(民主主義の忠実な信奉者)への転換の意義を顕わす発言としてである。
平成時代のものの考え方として、昭和のそれとは大きく異なると感じることがある。キーワードは「環境」そして「多様性」。地球温暖化を学ばぬ中学生はいないし、DNAが遺伝に関わることを知らぬおじさん・おばさんもいない(はずだ)。金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」はSMAPのうた同様、若者の人口に膾炙(かいしゃ)している。医学の世界でも足並みはそろっており、STAP細胞の話題も、多様性を生み出す同一細胞のフシギが大きなテーマである。つい最近、なるほどと膝を打った医学ニュースを紹介しよう。心臓は体内で唯一、勝手に、しかも規則正しくリズムをうつ細胞でできている(これが乱れると死に至る)。その細胞群が実は一つ一つは全く違った性質の細胞の組み合わせであり、同じ性質にそろえると、自律性は失われてしまうというのだ。これは見方によってはすごいことである。マスメディアはオボちゃんばかり追っていてはいけない。
違いから、同一性が生まれること――いまだにスマホに馴染めず、機種変更を渋っている昭和アナログ人間から最後に一首。         降る雨や /  昭和は靄(もや)の /  彼方なり  (中々クサッ田 男)