囲碁の井山裕太九段(26歳)が七大タイトル制覇を成し遂げた。囲碁界では先日、人工知能(AI)が世界トップ棋士と対戦勝利して話題になったばかり。きょうはアマチュア囲碁愛好家として、このニュースを掘り下げてみたい。

囲碁を知っていただくために、歴史とルールを説明する。
いわゆるボードゲームの中でも最古の歴史を持つ囲碁。中国発祥といわれ、論語・孟子に記載がある。日本へは奈良時代に伝来。正倉院には当時の碁盤が収められており、枕草子や源氏物語にも登場する。戦国時代は武士のたしなみとされ、江戸時代には家元制度ができ、庶民にも徐々に広まっていった。
明治維新で家元制度が崩壊して囲碁界は混乱するが、関東大震災後の統一気運で日本棋院が設立(1923)された。関西棋院の独立を経て、現在は東京・市ヶ谷の本院を中心に両院合わせて約400人のプロがしのぎを削っている。最高位が九段で、タイトルの付いた競技戦が大きく7つある。棋聖・名人・本因坊などで、今回井山さんが獲得したのは十段。全タイトル同時独占は大変な偉業だ。

囲碁の特長は何といっても、ルールが単純なことだ。黒番、白番の双方が盤上で向き合い、黒白交互に石を置いていき、最終的に自分の地(○○目=モクと数える)の多い方が勝つ”陣取りゲーム”。相手の石を囲むと取り上げ、アゲハマとして地の計算時に相手の陣地を埋めるのに使う。ほかには、劫(コウ)という同じ形ができる場所で、繰り返し着手に関する禁止事項があるぐらい。

最初は単純すぎるルールゆえ、どこにどう打っていいかわからないのが難点で、とっつきづらさは否めない。それで日常用語にもなっている「定石=じょうせき」がある。この局面ではこう打てば、互角の戦いができるとされる手順がたくさんあり、初心者はまず定石を学ぶ。
しかし、碁の奥深さはその先にある。川柳で「定石を 覚えて 二目 弱くなり」というのがある。定石を知らないと上手くならないのに、定石通りに打っても上達の壁がある。理由は、碁には”無限”の手があることだろう。公式盤は19×19=361の着手点がある。盤面状態の種類はチェスで10の50乗、将棋で10の71乗に対し、囲碁では10の160乗と見積もられている。
部分的には最良の一手が全体から見ればかえってよくないという矛盾が生じる。だから状況に応じて臨機応変な手を求められるのだ。まさに、人生そのものではないか。その柔軟性を発揮するために、右利きの井山七冠は、囲碁対局時は左手で打つ。脳から出る神経は頸部で交叉しており、論理脳の左脳でなく、感情脳の右脳を刺激するためだ。(ちなみに左利きの僕は囲碁も左手で打つが、パソコンでのネット碁は右手でマウスクリック)。

コンピュータ『ディープ・ブルー』がチェスの世界チャンピオンを破ったのは20年前。4年前には第1回将棋電王戦でコンピュータ『ボンクラ―ズ』が米長邦雄・日本将棋連盟会長に勝利、その後もプロ棋士に勝ち続けた。
ただ、述べたように囲碁では必要な計算量の桁(けた)が違う。トッププロに追いつくのはまだ先とみられていた。

ところが今年、Google 社の『AlphaGo』が韓国の世界最強棋士・李世ドルに4勝1敗で勝ち越した。予想を上回る早期に勝てた理由は、コンピュータプログラムがこれまでとは異なる原理で作動することだ。それが[ディープ・ラーニング](D.L)と呼ばれる人工知能(AI)による自己学習。
人間の大脳は層構造(コラム)になっていて、複雑なネットワークを通じて情報をやりとりし、記憶された情報を基にその都度最適行動を選択するシステムだ。D.Lでは、この仕組みを模倣したという。僕流に噛み砕けば、以前のコンピュータが”木を見て森を見ず”式のブルドーザーだったのが、D.Lでは”1を聞いて10を知る”式に洗練されたわけだ。疲れ知らずの計算力に人間の直観力を加味すれば、まさに鬼に金棒。
実際、D.Lはいろいろな場面で応用されている。自動車の完全自動運転研究もそのひとつだし、医療でも最近目を見張るニュースが届いた。脊髄損傷で手足のまひした患者が頭(こころ)で思い描いた動きをAIを備えた装置が読み取り、電極を埋め込んだ手を動かすことに成功した!思わず、バビル二世のサイコキネシスを思い出した。

以前、ある友人に「趣味は囲碁」と伝えると、辛気臭い年寄りの慰み、みたいな表情をされたことがある。いまや鉄道や歴史好きの女性(”鉄女”や”歴女”)に交じって、囲碁好き女性のことを”囲碁ガール”とよぶそうな。囲碁人口の減少するかたわら、碁好きの若者が増えたきっかけは、週刊ジャンプの漫画『ヒカルの碁』(ほったゆみ原作)だろう。作品は主人公の少年が天才囲碁棋士の霊に導かれ、”神の一手”を目指す成長物語として描かれる。
ぼやぼや生きている”昭和好き”の僕がしょぼくれるころにはAIだらけの社会になっていることだろう。そのとき、神の一手を打つのはやはり、コンピュータでなく井山七冠のような「人間」であってほしい。