桜が開花した。日本人にとって花と言えば桜、と決まっているのはなぜか?と考えた時、多くの人はその咲き様に理由を求めるのではないか。三寒四温で蕾を膨らませたかと思うと一気に花弁を広げ、半月も経たずに散ってしまう。その潔さに凜と張りつめた武士道の世界を想起させる。
「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」 
「武士道とは死ぬ事と見つけたり」 
決定的なのは春が別れの季節であるということだ。正月とは別に、弥生が年度区切りとなるのに違和感を持たないのは、ひとえに桜の存在ゆえといってよいだろう。
我が国では、自殺者の最多月が3月である事実も指摘しておかなければならない。今月は自殺防止強化月間であり、3月25日は俳優・古尾谷雅人が45歳で自裁した命日ーー

映画『ヒポクラテスたち』(大森一樹監督1980)。医学部出身の大森監督が学生時代を振り返り製作した青春グラフィティ。医聖ヒポクラテスはギリシャ時代、人間を4つの体液で性格分類した事で知られる。そのひとつ、黒胆汁優位の人間はメランコリー(憂鬱)気質で神経質な人間を指す。
『ヒポクラテスたち』の主人公荻野愛作を演じたのが古尾谷だった。荻野はいわば黒胆汁の要素を持つ医学部6年生。心を病んで卒業できず精神科に入院する。柄本明や内藤剛志ら実力派が脇を固め、キャンディーズ引退後の伊藤蘭も同級生役で出演している。全共闘華やかなりし政治の季節に挫折した生真面目な青年を古尾谷は好演しているが、実生活でも似たような経過をたどった
幼少時に両親が離婚し、父と継母の下で育った古尾谷は高卒後、靴メーカーで2年働いたあと劇団に入る。松田優作を敬愛しており、『ヒポクラテスたち』が実質的デビュー作。以後演技派俳優としての道を歩む。僕の故郷一宮を舞台にした『宇宙の法則』(井筒和幸監督)でも主人公の機織り職を演じている。(アーカイブ『還暦七夕・一宮の法則2015.7.26』をお読み下さい)。妻の女優、鹿沼絵里さんの手記によると、1990年代に入ってトレンディドラマ全盛となっても、古尾谷は硬派役にこだわったため出演が減り、億単位の住宅ローンが残った。
もともと手洗い強迫のあった古尾谷。死の1年前に父が亡くなり、継母との相続問題も出て、昼夜逆転、酒浸りの生活が続いたという。こだわり派が選んだ“死に時”が桜咲く春だったーー

身長188㎝の古尾谷雅人の翳りある横顔を思い描く時、僕の脳裏をよぎる幾つもの「顔」がある。
精神科・心療内科を長年続けてきて、何人かの患者さんが自死をされた。当然事情はそれぞれだが、この時期にそのことを想い出すと、なんとも言えぬ悔恨の情が湧き起こる。
違う接し方をしていれば、彼/彼女は命を絶たなかったのではないかーー
とてつもなく重い問いかけを十字架のように背負って、それでも治療は続けなければならない……

井上陽水に『桜三月散歩道』(作詞長谷邦夫、作曲本人)という名曲がある。
♪ ねえ君  二人でどこへ行こうと勝手なんだが  川のある土地へ行きたいと思っていたのさ 町へ行けば 花がない…♪
3番ではこう歌われる。 ♪ …町へ行けば人が死ぬ …今は君だけ想って生きよう  だって人が狂い始めるのは  だって狂った桜が散るのは三月 ♪
散歩は、メンタル面の回復には欠かせない治療手段と思っている。辛さ、悲しさを背負いながら、とにかく歩き始めること。最初の一歩[ホップ]が次の二歩目[ステップ]につながり、それが三歩[ジャンプ]に発展していく…どんなに道が険しくとも、それしか他に方途(みち)は無い。
桜舞い散る道で、新たなる自分と出会うために。