「あの日」も金曜日だった。平成23年3月11日午後2時46分、上林記念病院B棟4階にいた僕は突然、めまいに襲われた。吐き気を伴ったので一瞬、小脳梗塞を疑ったが、原因はすぐに判ったーーあれからちょうど5年。東日本大震災という未曾有の災害に遭った人たちの「喪の作業」が続いている。

災という漢字は冠の「巛(せん)」と「火」の組合わせから成る。巛は川の水が流木などでせき止められて溢れる様子を表し、もともと水害、洪水を意味する。まさしく、千年に一度の地震による大津波[巛]と、東京電力福島第一原子力発電所(福島原発)の炉心溶融[メルトダウン]による放射性物質拡散[火]の両者を示すのに、災ほど的確な字は無い。
哲学者の梅原猛氏は福島原発事故のことを文明災と呼んだ。飛行機や原発など文明の利器は、人類をより遠くへより速く運び、より多くの財を生産するのに役立って来た。反対に、それら事故の損害が甚大なのを想像し、主張できる者は多くない。人は見たくないものには目をつむる動物でもある。
物理学者の寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやって来る」という名言で知られる。実際に寺田が警告したのは、文明が発達すればするほど、天災の被害は大きくなるという逆説だ。シベリアやサハラ砂漠の真ん中でマグニチュード9の地震が起きても震災にはならない。
英語のcivilizationを文明と訳したのは福沢諭吉だが、その語源はギリシャ語の都市化から来ている。人が集まって都市が出来れば、その“反作用”として文明災が生じるのはやむを得ない事とはいえ、福島原発事故を経験してなお、仕方がなかったとは言えない。

災害のあとには復興が求められる。なかでも被災者の心の傷を癒やすことは文明災の大きな課題だ。
人は喪失体験によって怒りや悲しみなどの感情を呼び覚まされる。それは体が傷ついた時に痛みを感じるのと同質の働きだ。いわば警告信号で、長期に続くと弊害(=うつ状態)が表れる。それを緩和するのが喪の作業(モーニングワーク)だ。
精神分析医のフロイトが提唱した喪の作業。悲しみを表すことを厭わず、泣きたい時には涙する。これは共同体で死者を弔うため喪服で生身を隠し、ある期間蟄居(ちっきょ)する慣習と対(つい)の関係で、コインの裏表になっている、と僕は考える。
服喪習慣は、ラグビー五郎丸選手が祈りポーズで示したルーティーンワークの典型と言ってよい。地位や身分に関係なく、すべてを黒(=無)に統一してメンバーの動揺を抑え、共同体の損失を最小限にする古人の智恵。
一方の喪の作業では、感情を表出してカタルシスを得る事で、溜まった悲しみ、ストレスを吐き出し、喪失体験による心の傷を小さくするのが目的だ。

震災後5年を経ても、17万人の被災者が避難生活を強いられ、2,561人の住民が行方不明のままだ。福島原発周辺の帰還困難地域でも、放射能汚染した土に眠る方々が見つかるのを待っている。
南相馬市の上野敬幸さんは両親と子どもふたりを亡くし、いまだ見つからない長男を捜し続ける。大津波に流されず残った一本松の前で、テレビのインタビューに答える作業着姿を観て、涙がこぼれた。上野さんにとって「喪の作業」は現在進行形だ。